戦国時代天文年間(1532年~1555年)に河瀬兵部が創建した。今井御坊。
一向宗本願寺門徒は自衛のために濠をめぐらせ、称念寺を中心とした寺内町が形成され「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄した。
本願寺が織田信長と敵対した際、今井も抵抗したが降伏したため事なきを得た。
本堂は江戸時代の建築で重文指定されている。
太鼓楼は1845年の建築。山門は明治天皇行幸の際に談山神社から移築されたものである。
寺町の今井町は江戸時代には東西600m、南北310mの濠の中に1100軒、人口4000人の都市であったという。現在も当時の民家が残り、8軒の住宅が重文指定されている。