あすかでら
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飛鳥寺ではいただけません
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飛鳥寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年03月12日(火)
参拝:2024年3月吉日
欽明天皇13年(552年)、百済の聖明王から仏像が献上されます。(経緯については割愛します。興味深い話満載ですが、話がそれますので。)いよいよ仏教が日本に入って来るわけですが、勿論すんなり事が運ばれたわけではありません。当時日本は、豪族達の権力争いの真っ只中。
蘇我稲目は、受け入れ賛成派。向原の家を浄めその仏像を祀ります。(向源寺)ところが、疫病流行。ここぞとばかりに反対派の物部尾輿は、寺を焼き仏像を難波の堀江に投げ込みます。(この仏像を拾い上げ、長野まで持ち帰り大切に祀ったのが本田(本多)善光。→後の善光寺)疫病止まず。
世代変わり、敏達天皇の時代。鹿深臣、百済から弥勒菩薩携えて帰国。蘇我馬子は、仏殿を建てその仏像を収めます。再び疫病流行。物部守屋、仏教が原因と仏殿、仏像を焼き払います。が、疫病止まず。それどころか、天皇崩御。馬子や守屋も病に···。
この後、厩戸皇子(聖徳太子)が···。と歴史は続いていきます。
とにかく、蘇我馬子発願(588年)創建(596年)がこちらの飛鳥寺です。
新西国霊場 第9番札所
山号:鳥形山
宗派:真言宗豊山派
御本尊:釈迦如来(飛鳥大仏)
創建:596年
蘇我稲目は、受け入れ賛成派。向原の家を浄めその仏像を祀ります。(向源寺)ところが、疫病流行。ここぞとばかりに反対派の物部尾輿は、寺を焼き仏像を難波の堀江に投げ込みます。(この仏像を拾い上げ、長野まで持ち帰り大切に祀ったのが本田(本多)善光。→後の善光寺)疫病止まず。
世代変わり、敏達天皇の時代。鹿深臣、百済から弥勒菩薩携えて帰国。蘇我馬子は、仏殿を建てその仏像を収めます。再び疫病流行。物部守屋、仏教が原因と仏殿、仏像を焼き払います。が、疫病止まず。それどころか、天皇崩御。馬子や守屋も病に···。
この後、厩戸皇子(聖徳太子)が···。と歴史は続いていきます。
とにかく、蘇我馬子発願(588年)創建(596年)がこちらの飛鳥寺です。
新西国霊場 第9番札所
山号:鳥形山
宗派:真言宗豊山派
御本尊:釈迦如来(飛鳥大仏)
創建:596年
春を感じさせる日のお参りとなりました。☀️
お堂に入ると、説明していただける専門の方がおられ、聞きながら必死でメモ。「御写真撮ってもらって構いません。」と許可が出ましたのでパシャリ!
本来は脇侍がいて三尊像だったとのこと。焼けて二体はありません。金銅仏ということもあり、かろうじて残った中尊ですが、少子痛々しく感じました。
ただ、こちらの仏さま、創建当初から一歩も動いていないとのこと。😯今、2024年ですから、1400年以上ここに座っておられるわけですよね。凄い!😵💫🙏
お堂の全景
少し歩いた先に、入鹿の首塚があります。
手を合わせてきました。
手を合わせてきました。
境内に年季が入ったポスト🤔
いただいた御朱印です。
すてき
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沙羅双樹の花400投稿
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