融通念仏宗
観音寺のお参りの記録一覧
奈良県の寺院巡りの4寺目は、3寺目の大和郡山市の南西、生駒郡斑鳩町を挟んだ先の生駒郡三郷町に在る大悲山 観音寺です。
融通念仏宗で、本尊は阿弥陀如来。
こちらの地蔵菩薩立像は重文です。
檀家寺院のため拝観に際しては、三郷町ものづくり振興課に拝観希望日時を連絡して、観音寺さんに了解を取って頂く必要があります。
(有名な観光寺院以外の寺院所蔵の仏像等の拝観を希望する場合は、先ずは寺院所在地の市役所や町役場に連絡をしてその寺院の状況をお聞きする。寺院の連絡先を教えて頂いた場合に寺院へ連絡する際には「✕✕市役所からの紹介で今回連絡させて頂きました。」と話すと割とスムーズに事が運ぶと思います。)
観音寺の創建等わかっておりません。兵火や災害により何度も再建された模様で、現在の本堂は江戸時代の1765年に再建されたものです。
道は細く、くねっている所ばかり。でもカーナビは賢くて、寺院の裏側(北側)の駐車場へ案内してくれました。5台位は停めれますが、3ナンバー車は厳しいかも? 軽四で行って良かった。
山門へは寺院の塀に沿って坂を少し下ります。山門横の通用口で呼び鈴を押して、拝観予約した者ですと伝えるとご住職の奥様に迎えて頂きました。するとご住職が何やら慌てている様子。急遽法事が入ったそうで、バタバタと出て行かれました。(いつ亡くなるかなんてわかりませんから仕方ありません。) 境内は小ぢんまりとしています。檀家寺ですが境内に墓地はありません。墓地は坂をもう少し下った所にあるとの事です。
早速、本堂に上がらせて頂きました。外陣にすべり台とか幼児の遊具が置いてあります。花粉症が酷くて外でお孫さんの相手が出来ないからだそうです。(本堂の外陣は広くて、子供が遊ぶには良いですね。)須弥壇には本尊・阿弥陀如来坐像、再建時に作られたのかそれほど古くはないと思います。本尊は如来なのに観音寺? この地には本堂が建立される随分前から観音菩薩を祀った庵があり、それゆえ観音寺と称する様になったとの事です。
須弥壇の左側の壁に設えた壇の中に、十一面観音立像と地蔵菩薩立像が安置されています。地蔵菩薩立像は、高さ約122cm、衣紋の線はしっかりしていますが浅め、平安時代中期~後期の作と考えられています。この仏像は、松永久秀の死後にこちらへ遷されたものと伝わります。
境内には立野城跡発掘調査の際に空濠の中より発見された室町時代後期の宝筐印塔が置かれています。これは織田信長と松永久秀の信貴山城攻防の中で埋没したものです。また、観音堂の中には十一面観音石造が安置されているそうですが扉が閉まっていて観れませんでした。
御朱印をお願いしましたが、残念ながらご住職がご不在のため対応出来ず。
また機会があれば再訪して、十一面観音石造を拝観、御朱印を受領したいと思います。
山門
本堂
本尊・阿弥陀如来
十一面観音立像と地蔵菩薩立像(重文)
?堂
観音堂
この中に十一面観音石造を安置
宝篋印塔(町指定文化財)
本日は寅の日。信貴山朝護孫子寺へお参りに。今年ほど毘沙門天さまに必勝祈願した年はなかったな〜😅と,とりあえずシーズン終了の締めに御礼参りに。お世話になりました。🐯
そして新しくなった信貴山城址の御城印を購入し、隣りにありました、立野城址の御城印を見て立野城⁉️これは購入するしかない❗️しかも購入した以上行かなくては❗️と、検索。とりあえずGoogleマップで表す址地へ。
しかし、実際行ってみると、痕跡すら見つからず、三丁目バス停にありました看板にありました立野城址から発掘された「宝篋印塔」を目指して,観音寺へ。
観音寺さんの駐車場ののぼり旗に、重要文化財の地蔵菩薩立像と記されてあり😳、これは是非ともお目にかかりたく,🥹閉ざされた門前でしたがお伺いしましたところ,普段は予約制との事でしたが、たまたま今ならお時間がいただけるとの事で拝観させて下さりました。🙇♀️
御住職自ら、ご親切で尚且つ,御丁寧な対応、お詳しいご説明で、お目当ての「宝篋印塔」や重要文化財の「地蔵菩薩立像」(平安時代後期の作品で松永弾正久秀の死後こちらにお移しされたとか。)ご本尊の「阿弥陀如来座像」などをご紹介して下さりました。また、境内の観音堂に安置されております石仏像や名号碑なども御案内して下さり、本当に大変貴重な体験,心よりお礼申し上げます。🥰素晴らしいご縁に感謝です。本当に記念すべき一日となりました。🍁
こちらの御城印、信貴山観光iセンターにて購入出来ます。🥰この御城印によりご縁がつながりました。
御城印からの現地へ。現地周辺探索中に見つけました説明板。城山台三丁目バス停留所🚏近くにあります。
説明板のこの写真から観音寺へ導かれ‥🥰はい、呼ばれました〜❣️
こちらが見上げる高台にあります観音寺さん。
融通念仏宗とありました。
こちらが本物、いや,実物の「宝篋印塔」です。あの御城印の立野城址より発掘され、こちらに。
本堂
度重なる災害や戦禍により現在の本堂は江戸時代明和二年(1765年第十代徳川家治公の時代)に再建されたそうです。
とても美しくお手入れされています。
堂内のこちらは撮影許可していただいております。
白虎ですよー❣️🐯
なんとこちらも白虎だそうです❣️😍
名号碑
慶長20年(1615年大阪夏の陣の年)
割られていたものを復元されたそうです。また、拝観でき感動のあまり、十一面観音石像が安置されております観音堂を撮影するのを忘れてしまいました。😭
本堂内はこの様な感じです。由緒書より。
実物はとても素晴らしく、また美しく,ぜひ拝観お勧め致します。🥰拝観はご予約をお忘れず!😉
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