へぐりにいますきしじんじゃ
平群坐紀氏神社のお参りの記録一覧
大和国平群郡の名神大社です。郡名を持つ平群氏の初代である平群木兎宿禰さまを祀りますが、社名は「紀氏」とあります。どっちやねん。
《一の鳥居》
《由緒書き》
紀氏は平群氏と同じく武内宿禰さまから分かれた一族で、一説では平群木兎さまから分かれたとも言われています。
ちなみに"木兎"は"みみずく"の意味で、精霊崇拝から動物の名前を使う文化があったんだとか。
代表的なところでいうと、大化の改新で処された蘇我入鹿(イルカ)さんですね。
《表参道》
《社務所》
御朱印があるそうですが、時間が遅かったので遠慮しました。人気はあったので住んでいるようです。
《摂末社》
薦が敷かれていますね。なぜか社殿に。
《手水舎》
水は流れていないようですが、使えます。
《座小屋》
👁チェックポイント‼️
この神社では座小屋というものが3棟あります。
かつてはこの荘園の役人を招待したときの客間のように使っていたようです。
《拝殿》🙏
《本殿》
朱色の社殿に黒の漆塗りの欄干が映えますね。
#平群坐紀氏神社
ご祭神はアマテラス大神、アメノコヤネの尊、ズクノスクネ、八幡大菩薩。
#木莬宿禰
古事記では都久宿禰、日本書紀では木莬宿禰。古事記・日本書紀ともタケノウチノスクネの命の子とする。古事記によれば、”平群(へぐり)のおみ”などの氏族の祖神。
日本書紀によれば、第16代・仁徳天皇と同じ日に生まれた。だがその日、仁徳天皇の産屋にミミズクが、ズクノスクネの産屋にミソサザイが飛び込んだ。仁徳天皇の父・応神天皇はこれを吉兆と判断。飛び込んだ鳥の名を交換して互いの子に付けることにした。後の仁徳天皇はミソサザイにちなみオオサザキの尊と、タケノウチノスクネの命の子はミミズクにちなみズクノスクネと名付けられた。
パンフにも書いてあり、僕は宮司さんから口頭でも聞いたが、神社を創建したのは紀氏という氏族。上記の平群氏とは同族で、5世紀から7世紀までのいずれかの時点で分かれた、と。
聴きながら、僕はふとNHKの日本人のおなまえっ!のとある回のことを思い出した。某スケート選手の名字が、紀貫之を輩出した紀氏と、平清盛を輩出した平氏にあやかって、これらを繋げて作られたもの、みたいな内容だ。案外、紀プラス平群という線もあり得ないか、と思った。
宮司さんにも言ってみたが、番組自体、観ていない様子だった。
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