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法隆寺ではいただけません
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法隆寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年04月27日(火)
参拝:2021年4月吉日
法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山の寺院。本尊は釈迦如来(国宝)。南都七大寺の一つ(諸説有)。別名は「斑鳩寺」、「法隆学問寺」など。ユネスコの世界遺産に「法隆寺地域の仏教建造物」の構成資産の1つとして登録されている。また境内は<国の史跡>に指定されているほか、建物だと南大門、金堂、五重塔、鐘楼、大講堂、夢殿などが国宝。仏像だと金堂安置、五重塔安置、講堂安置、大宝蔵院所在などの多くの仏像が国宝。国指定の重要文化財の建築物、仏像も多数ある。
創建は推古天皇15年(607年)、開基は推古天皇と聖徳太子。601年以降、聖徳太子が現在の東院伽藍の位置に斑鳩宮を建造、当寺はこの斑鳩宮に接して建立された。およそ19万㎡弱(東京ドーム4個分)ある境内は、金堂、五重塔と中心とした西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。
聖徳太子による建立の後、聖徳太子の弟・来目皇子(くめのみこ)の子孫・登美氏が支配下に置いたが、平安時代初頭に復興・自立の動きをした。また平安中期の925年には西院伽藍のうち大講堂と鐘楼が焼失、室町時代の1435年には南大門を焼失するなど何度か火災に遭うが、大火災には遭っておらず建物、仏像などの文化財が現在まで残っている。
近世には、17世紀初めには豊臣秀頼が伽藍を修復、18世紀にかけては江戸幕府5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍を修造した。
明治期に入ると廃仏毀釈の影響で資金難になり、管長の判断で聖徳太子画像など宝物300点を皇室に献納、金壱万円を下賜された(宝物は現在、東京国立博物館の法隆寺宝物館にて保管)。
仏教宗派としては、明治初めに真言宗に改宗したが、1882年に興福寺とともに法相宗として独立、1950年には法相宗から独立して聖徳宗を設立した。
当寺は、JR大和路線・法隆寺駅の北方2km弱の場所にある。徒歩30分ぐらい。国道25号線に面した参道入口から歩くと、広々とした参道の両側に土産物屋などが並んでいて、観光気分が盛り上がる。西院伽藍と東院伽藍は300mほど離れており、両方しっかり見て回るとそれなりの距離を歩くことになる。
参拝時は週末の朝一、開門時間の8時に西院伽藍からスタートしたが、参拝者はぱらぱら程度、職員数の方が多いぐらい。その後も参拝者はさほど増えなかった。拝観には、西院伽藍、東院伽藍、隣接の中宮寺と合わせて2時間ほどかかった。
※自分は「法隆寺」を小学生の時から知っているのに、学生時代の修学旅行でも大人になってからの個人旅行でも「法隆寺」には来たことがなかったので、いわば「憧れの法隆寺」として参拝。実際は境内は広々していて建物は立派で見どころもたくさん。でも参拝者が少なくて雰囲気がのんびりしている。すごく好印象!
創建は推古天皇15年(607年)、開基は推古天皇と聖徳太子。601年以降、聖徳太子が現在の東院伽藍の位置に斑鳩宮を建造、当寺はこの斑鳩宮に接して建立された。およそ19万㎡弱(東京ドーム4個分)ある境内は、金堂、五重塔と中心とした西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。
聖徳太子による建立の後、聖徳太子の弟・来目皇子(くめのみこ)の子孫・登美氏が支配下に置いたが、平安時代初頭に復興・自立の動きをした。また平安中期の925年には西院伽藍のうち大講堂と鐘楼が焼失、室町時代の1435年には南大門を焼失するなど何度か火災に遭うが、大火災には遭っておらず建物、仏像などの文化財が現在まで残っている。
近世には、17世紀初めには豊臣秀頼が伽藍を修復、18世紀にかけては江戸幕府5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍を修造した。
明治期に入ると廃仏毀釈の影響で資金難になり、管長の判断で聖徳太子画像など宝物300点を皇室に献納、金壱万円を下賜された(宝物は現在、東京国立博物館の法隆寺宝物館にて保管)。
仏教宗派としては、明治初めに真言宗に改宗したが、1882年に興福寺とともに法相宗として独立、1950年には法相宗から独立して聖徳宗を設立した。
当寺は、JR大和路線・法隆寺駅の北方2km弱の場所にある。徒歩30分ぐらい。国道25号線に面した参道入口から歩くと、広々とした参道の両側に土産物屋などが並んでいて、観光気分が盛り上がる。西院伽藍と東院伽藍は300mほど離れており、両方しっかり見て回るとそれなりの距離を歩くことになる。
参拝時は週末の朝一、開門時間の8時に西院伽藍からスタートしたが、参拝者はぱらぱら程度、職員数の方が多いぐらい。その後も参拝者はさほど増えなかった。拝観には、西院伽藍、東院伽藍、隣接の中宮寺と合わせて2時間ほどかかった。
※自分は「法隆寺」を小学生の時から知っているのに、学生時代の修学旅行でも大人になってからの個人旅行でも「法隆寺」には来たことがなかったので、いわば「憧れの法隆寺」として参拝。実際は境内は広々していて建物は立派で見どころもたくさん。でも参拝者が少なくて雰囲気がのんびりしている。すごく好印象!
国道25号線に面した参道入口と寺号標。
松並木の参道を数百m進むと、国宝<南大門>。三間一戸の八脚門。室町時代の1438年再建。
<南大門>は、当初中門前の石段上にあったが、寺域拡張で現在地に移築。
西院伽藍にかけての参道。
西院伽藍を代表する中門(中央)、五重塔(左)、金堂(右)の3建築物を望遠レンズで圧縮してみた。
国宝<中門>は正面が四間二戸、側面が三間の入母屋造の二重門。飛鳥時代建立。
<中門>にある日本最古(8世紀初頭)の仁王像の左側・吽形像。雨ざらしで補修が甚だしく、体部が木造の後補になっているとのこと。
右側の阿形像。力強い。
<中門>の左手前にある<世界遺産認定記念碑>。
西院伽藍の西廻廊の外側(西側)にある、国宝<三経院・西室>。三経院は住宅風仏堂で、西室は僧坊。いずれも平安期に焼失、鎌倉期の1231年に再建。
西院伽藍の西回廊の南端にある<拝観受付>。開門は8:00でそれまでは入れてもらえない。笑
受付から歩いてすぐ目に飛び込む、南側からの<五重塔>と<金堂>のツーショット。いずれも飛鳥時代建立。
国宝<五重塔>は、現存世界最古の木造五重塔で、高さは32.55m。初重から五重までの屋根の逓減率が高いのが特徴で、五重の屋根の一辺は初重のほぼ半分。
国宝<五重塔>は、現存世界最古の木造五重塔で、高さは32.55m。初重から五重までの屋根の逓減率が高いのが特徴で、五重の屋根の一辺は初重のほぼ半分。
国宝<金堂>は、入母屋造の二重仏堂で、桁行五間、梁間四間、二重、初層裳階付。上層に部屋はなく外観のみ。
堂内には釈迦三尊像(国宝)、薬師如来坐像(国宝)、阿弥陀三尊像(重文)、四天王立像(国宝)、毘沙門天・吉祥天立像(国宝)を安置。
堂内には釈迦三尊像(国宝)、薬師如来坐像(国宝)、阿弥陀三尊像(重文)、四天王立像(国宝)、毘沙門天・吉祥天立像(国宝)を安置。
<五重塔>と<金堂>の奥にある、国宝<大講堂>。桁行九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。平安中期990年の再建。
堂内には薬師三尊像(国宝)と四天王像(重文)を安置。
堂内には薬師三尊像(国宝)と四天王像(重文)を安置。
この日は風が強く、正面の寺幕が思いっきり巻き上がって、国宝<薬師三尊像>が外から丸見え(堂宇内は撮影禁止)。
<大講堂>の西側、<西回廊>の北端にある国宝<経蔵>。奈良時代建立。内部に観勒僧正坐像(重文)を安置。内部非公開。
<大講堂>の東側、<東回廊>の北端にある国宝<鐘楼>。平安時代建立。
<大講堂>の裏手にある、重文<上御堂>。鎌倉時代建立。内部に釈迦三尊像(国宝)、四天王像(重文)を安置。
こちらは風と関係なく、国宝<釈迦三尊像>が外から丸見えだったので望遠レンズにて(堂宇内は撮影禁止)。
北側からの<金堂>、<五重塔>のツーショット。写真構図上はベストか。
国宝<回廊>の東側。飛鳥時代建立。
<東回廊>の南端にある西院伽藍の出口を出て、すぐ左手(東側)にある<聖霊院>の<水屋>。
国宝<聖霊院(しょうりょういん)>。聖徳太子を祀る堂宇。鎌倉時代建立。聖徳太子と眷属像(国宝)、如意輪観音半跏像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)を安置。<聖霊院>の後方にある僧坊<東室(ひがしむろ)>も国宝で、奈良時代建立。御朱印はこちら。
東室に並行して建つ、東室の付属建物、重文<妻室(つまむろ)>。平安時代建立。
<妻室>の東側に建つ、国宝<綱封蔵(こふぞう)>。寺宝を保管するための高床式の蔵で、2つの蔵を1つの屋根で覆っている。平安時代建立。
<綱封蔵>の奥にある、国宝<食堂(じきどう)>。奈良時代建立。食堂本尊は薬師如来坐像(重文)。
<食堂>の奥にある、<大宝蔵院(百済観音堂)>。1998年建立。百済観音像をはじめとする寺宝を公開している。多くの国宝、重文が展示されている。
写真撮影位置が<大宝蔵院>の入口で、中庭を囲むように拝観順路が設定されている。正面の堂宇には、主役の国宝<観音菩薩立像(百済観音)>が安置されている。
順路を進むと中門前に繋がっている東西参道に出る。東に向かうと見えるのが、国宝<東大門>。
<東大門>をくぐると、東院伽藍までの参道が数百m伸びる。
東院伽藍の入口、重文<東院四脚門>。鎌倉時代建立。
塔院伽藍の<水屋>。
塔院伽藍のメイン、国宝<夢殿>。奈良時代建立の八角円堂。堂内には、聖徳太子の等身像とされる国宝<観音菩薩立像(救世観音)>、国宝<行信僧都坐像>、国宝<道詮律師坐像>、重文<聖観音立像>を安置。
※重文の<南門>が工事中のため、南西側から<夢殿>を撮影。
※重文の<南門>が工事中のため、南西側から<夢殿>を撮影。
<夢殿>の北側にある<絵殿及び舎利殿>。左側が<絵殿>、右側が<舎利殿>。鎌倉時代の建立。国指定の重要文化財。
<絵殿>と<舎利殿>の間の通路。奥に見えるのが、国宝<伝法堂>。
国宝<伝法堂>は、聖武天皇夫人、橘古那可智の住居が東院に移築奉納された建物。
<伝法堂>の東側に建つ、国宝<鐘楼>。ここで東院伽藍は一通り拝観完了。
帰りの途に就く。西院伽藍に戻って、もう一度<中門>と<五重塔>。
最後に、南大門を通して見た<中門>と<五重塔>。よく映える!
すてき
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