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真言律宗

圓證寺のお参りの記録一覧
奈良県 白庭台駅

nomuten
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2023年01月14日(土)
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奈良県・大阪府寺巡りの3寺目は、1寺目・2寺目と同じ生駒市に在る圓證寺です。2寺目の長弓寺から僅か1kmの所に在ります。
真言律宗で、本尊は釈迦如来。
この本尊・釈迦如来坐像は県指定文化財です。
こちらには以前、平安時代の作で重文の文殊菩薩騎獅像と普賢菩薩騎象像を所蔵しておりましたが、諸般の事情により2014年に文化庁へ売却されました。下世話な話ですが、売却額は4.5億円。一度も観た事がないため是非とも観たかったのですが残念。(仕方ありませんね。)
この寺院の門は常時閉ざされていて、拝観するには1週間以上前に予約する必要があります。TELにて拝観予約する際に女性の方が電話口に出られて応対頂きましが、てっきりご住職の奥様かなと思って伺ったところ尼僧さんでした。(半年以上前にTELした際は都合が合わずでしたが、今回私の名前・住所を覚えていらっしゃったのには驚きでした。)

伝えによれば、寛平年間(889~897年)の創建、元は筒井氏の本拠地である現在の大和郡山市に在ったという。筒井氏は大和国の土豪で、興福寺の衆徒(僧兵)であった。大和郡山と興福寺の間を毎日通うのは難儀なため、興福寺に近い林小路(現在の奈良市林小路町)に屋敷を構えており、戦国大名の筒井順慶の父である筒井順昭が死去した後に、筒井順昭の妻が夫の菩提を弔うため、屋敷を寺に改めたとの事です。また、筒井順昭は28歳の若さで死去し、その時の跡取りの筒井順慶は僅か2歳であったため、筒井順昭の死を隠し(敵に攻められる恐れがあったため)、瓜二つであった僧侶の木阿弥(黙阿弥)を筒井順昭の影武者とした。木阿弥はこの任務を全うした後に元の僧侶に戻ったという事から「元の木阿弥」という言葉が出来たそうです。

この寺院は、元は奈良市林小路町に在りましたが、騒音・振動等が文化財護持、宗教活動に支障があるとして、1985年に現在地に移転しております。
山門前は広くなっており、10台位は停めれそうです。山門通用口のインターホンを押して、予約した者ですと伝えるとご住職(尼僧さん)に出迎えて頂きました。拝観料(500円)とお願いしておいた御朱印料(書置きのみの対応)をお納めしてから本堂へ。本堂は室町時代末期の建立で、いたってシンプルです(重文)。堂内に入ると須弥壇に本尊・釈迦如来坐像(県指定文化財)、本尊の右側には弘法大師像、左側には不動明王像。釈迦如来坐像は、高さ約69cm、玉眼で、慶派仏師による鎌倉時代の作。シンプルながら綺麗な仏像で、台座には細かな装飾がありました。光背は地震等の揺れで外れ落ちる恐れがあるため外して、右奥の間に置いてありました。その横には千手観音坐像。左奥の間には吒枳尼天の厨子と聖天の厨子が置かれていました。この聖天は生駒聖天である宝山寺の住職だった先々代が宝山寺から勧請したとの事です。
本堂を出た左横には五輪塔(重文)があり、筒井順慶の父の筒井順昭の供養塔です。
また、本堂の向かい側には書院があり、中には入れませんが、枯山水の「雪山の庭」が綺麗でした。

圓證寺(奈良県)

御朱印

圓證寺(奈良県)

山門

圓證寺の手水

手水

圓證寺の本殿

本堂(重文)

圓證寺の本殿
圓證寺の仏像

本尊・釈迦如来坐像(生駒市デジタルミュージアムから)

圓證寺(奈良県)

現在 光背は外してあります
(地震等の揺れで外れ落ちる恐れがあるため)

圓證寺の仏像
圓證寺(奈良県)

鬼瓦は8つありますが、全てデザインは違うそうです

圓證寺(奈良県)

蟇股

圓證寺の塔

五輪塔(重文)
筒井順慶の父の筒井順昭の供養塔

圓證寺(奈良県)

書院の「雪山の庭」

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