あきしのでら|単立
秋篠寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
ご住職さまのお話を直に聞くことができ、お寺の由緒や現在の様子などとても興味深く拝聴いたしました
『苔寺』と言われるようにみごとな苔の絨毯でこの時期でも青々としてました
四季を通じて参拝したいと思いました
今回は奈良の寺院巡りです。
今日は6月6日の月曜日、また仕事を休んで出掛けました。奈良市に在る秋篠寺の秘仏·大元帥明王(たいげんみょうおう)の開帳が、年に1日、6月6日だからです。昨年はコロナ禍のため開帳は取り止めでした。前日から大雨の予報、家を出る前から結構な雨量、途中吹き降りでしたが、奈良市に入った位から小降りになりました。
秋篠寺は、単立で、本尊は薬師如来。
776年に光仁天皇の勅願により僧正·善珠の開基とし建立。秋篠氏の氏寺とも考えられるが詳細はわかっておりません。1135年に兵火により講堂以外の金堂、東塔、西塔など殆ど焼失し、伽藍の再建は難しく礎石等残すのみとなりました。
境内の北東角に駐車場があります。たまたま出られる方が居たので駐車できましたが、周りに臨時駐車場もあります。開門9:30との事で、9:30に着いたら帰られる方が居たという事は8:00とか8:30に開門されたと思います。拝観料(500円。特別開帳料とかはありません。)を納めて列に並びます。例年の開帳日はとんでもない行列で、今年はコロナ禍で雨降りだったのせいか全然少ないと仰有っている方が居ました。(ラッキーかな。)
お堂に入って1人ずつ順番に大元帥明王立像の前に。思っていたより大きい、一面六臂の忿怒相、六本の腕には三鈷杵、五鈷杵、剣、斧、棒を持ち、残る1本は人差し指を立てている様な(指ならかなり長い)、全身の所々に蛇が巻きついています。大元帥明王は生まれて初めて観ました。国内数例しかありません。大迫力でした。
本堂には多数の仏像が安置してあります。中尊は本尊·薬師如来(重文)、両脇侍は日光菩薩と月光菩薩(重文)、その脇に6躯ずつ十二神将(無指定ながら室生寺の様に表情豊か。)、その外側に不動明王と地蔵菩薩(重文)、一番外側に帝釈天(重文)と伎芸天(重文)。右側の脇間には厨子に入った愛染明王、左側の脇間には五大力菩薩。
中でも伎芸天が有名(本当は正式名は不明)。艶っぽい表情が何とも。実は、頭部は奈良時代の作で脱乾湿ですが、首から下は鎌倉時代の作の木造。何ら違和感なく繋げて1体とさせている技量には感服。
焼失した金堂、東塔、西塔の跡地は苔むしていて「苔の寺」として知られています。とても綺麗でした。
尚、御朱印は開帳日のみ頂けるとネットに書かれていましたが、残念ながらコロナ禍のためか対応されていませんでした。
開帳日以外はそれ程参拝者が多いとは思えないですから、ゆっくりと落ち着いて拝観できるのではないかと思います。またお邪魔したいと思います。
駐車場
東門
香水閣
十三社
拝観を待つ列
大元堂
大元帥明王(重文)(ネットから転載)
大元堂から見た本堂
本堂
伎芸天(重文)(ネットから転載)
鐘楼
開山堂
霊堂
南門
御朱印の案内(未対応)
近鉄線「大和西大寺駅」より「秋篠寺」バス停下車すぐ。山号を持たない単立寺院。ご本尊は薬師如来です。
奈良時代末期に善珠により光仁天皇の勅願により建立された奈良時代最後の官寺。
明治時代までは浄土宗寺院でしたが、現在は単立の寺院です。また、大和北部八十八ヶ所霊場第23番の札所でもありました。
平城京の西北端の秋篠の里の雑木林に囲まれた緑深き場所です。
毎年6月6日は、大元帥明王像のご開帳が行われ、朝早くから参拝客で並んでいました。
また、本堂ではご本尊の薬師如来のほか、十二神像や帝釈天をはじめ、「東洋のミューズ」智呼ばれる伎芸天像など仏像マニアにはたまらんといったところです。
そして、この日だけ御朱印を授かることができるみたいでしたが受付けていませんでした。
数年前から行なっていないようでしたが、これもアフターコロナの影響でしょうか?残念です。
バス停から少し歩いて東門から歩きます。
長い参道を歩きます。
近くは住宅街。奈良競輪場も近くにありますが、ここだけは別世界です。
受付です。「御朱印」は受付していない貼り紙が。
大元帥明王像のお堂まで行列をなしていました。
本堂です。鎌倉時代の建立で、元々は講堂の跡地だそうです。
並ぶこと約20分。大元帥明王像のお堂へお参りです。
南門側です。西大寺駅から歩いて参拝という方もいらっしゃいました。
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