かいりゅうおうじ|真言律宗|佐保山
海龍王寺のお参りの記録一覧
こちらも特別拝観の十一面観音像を拝観に。昭和まで秘仏だったため、保存状態がとてつもなくよく、彩色も截金も綺麗に残る。洗練された、これまたため息の出る美しさだ。
海龍王寺 大和北部八十八霊場
海龍王寺 大和北部八十八霊場
海龍王寺 大和北部八十八霊場
海龍王寺 大和北部八十八霊場
海龍王寺 大和北部八十八霊場
海龍王寺 大和北部八十八霊場
【海龍王寺(かいりゅうおうじ)】
本尊:十一面観音
宗派:真言律宗
開基:光明皇后
海龍王寺は、遣唐使として唐へ渡った玄昉(げんぼう)の渡海の無事を祈願して、光明皇后が建立したと伝えられる。玄昉が帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際、「海龍王経」を一心に唱えたところ、九死に一生を得て無事に帰国を果たしたことより遣唐使の渡海安全祈願を営むようになったという。そして、寺号が海龍王寺と定められた。総国分尼寺で知られる法華寺の東北に隣接している。
大和路秀麗 八十八面観音巡礼 で参拝。
【表門(山門)】
【中門】
【手水舎の龍】
【地蔵菩薩】
【本堂】
【経蔵】
重要文化財。
【写経所】
海龍王寺は「般若心経」写経発祥の寺院とされる。
【西金堂】
重要文化財。
【五重小塔】
国宝。創建当時から西金堂内に安置されている。
【東金堂跡】
【十一面観音立像:参拝朱印帳】
★輝きを放つ鎌倉時代のクールビューティー★
本堂に祀られる十一面観音像(重要文化財)は、光明皇后が自ら刻まれた観音像をも とにして鎌倉時代に慶派の仏師により造立されました。昭和28年( 1953)まで秘仏だったために保存状態がよく、制作当初の金泥のお姿 そのままです。切金模様と、鍍金を施した装身具は精緻を極めており、 頭部の自然な俯きに優しい手の動きや腰のひねりなど、姿勢までも美 しい像です。間近で拝する観音さまのお顔は知的でおだやか。静かな 微笑をたたえています。(HP大和路秀麗 八十八面観音巡礼より)
海龍王寺 参拝日 令和5年11月11日
大和北部八十八ヶ所霊場第十九番の御朱印を頂きました
本堂
西金堂
境内
経蔵
表門
大和北部八十八ヶ所霊場第十九番の御朱印
令和4年10月、奈良市の真言律宗海龍王寺が秋の特別公開です👀
こちらは般若心経写経発祥の寺と言われています。
藤原不比等邸宅を娘の光明皇后が相続して皇后宮となったとき、敷地の北東隅に残されていた土師(はじ)氏ゆかりの寺(通称隅寺)も皇后宮内寺院となり伽藍が整えられました。
天平7年(735)、遣唐留学僧の玄昉が帰国して住職となると、聖武天皇は寺の名前を「海龍王寺」と定めます。帰国時に暴風雨に遭った玄昉が、船の中で海龍王経を一心に唱えて九死に一生を得た事が由来です🌀
特別公開では本尊の十一面観音菩薩立像(重文)が拝観できました。西金堂(重文)に安置された五重小塔は国宝指定✨
御朱印は本尊の十一面観音と期間(?)限定の龍驤虎視です🐲🐅
リーフレット「海龍王寺のスゴイところ」😉
山門
本堂。
御朱印はこちらにて🖌️
西金堂。
国宝の五重小塔はこちら。
国宝・五重小塔
一切経蔵(重文)
生木地蔵尊
龍驤虎視には龍虎が描かれてます😄
奈良海龍王寺参拝しました。五重小塔小さいながら繊細な造りでした
本堂です
五重小塔です。
御朱印頂きました
十一面観音専用の御朱印頂きました。八ヶ所集めて八十八面観音目指します
五寺目は海龍王寺さん。
入り口辺りの土壁からして、見所満載です(笑)
十一面観音はもちろん、国宝の五重塔小塔など、ずっと見ていられます。
お寺の案内板を読んでいてちょっと気になったので帰り際に寺務の方に伺うと、明治初期まで残っていたといわれる東金堂は廃仏毀釈そのものでなくなったわけではないが、廃仏毀釈でお寺の土地が大きく削られ収入が減り、維持が難しくなり、その過程で無くなっていったと伝えられているとのことでした。
小塔も対であったはずで、堂と一緒に無くなっていったのであろうということでした。
次世代にもその次の世代にも、残った塔などが受け継がれていくことを願いつつ、お寺をあとにしました。
有名なイケ住は居られませんでしたが、書置きのご朱印をいただきました。
奈良市指定文化財 海龍王寺表門
重要文化財 西金堂
国宝 五重小塔
重要文化財 一切経蔵
ご朱印は書き置きを頂きました。
奈良県のおすすめ🍁
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
5
0