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春日大社ではいただけません
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春日大社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年04月26日(月)
参拝:2021年4月吉日
春日大社は、奈良県奈良市にある神社。式内社(名神大)、二十二社(上七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約1,000社ある春日神社の総本社。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。
奈良時代の768年に平城京の主と五国民の繁栄を祈願するために藤原永手が創建。中臣氏、藤原氏の氏神である春日神を祀る。春日神は主祭神4柱の総称で、武甕槌命(たけみかづち:常陸国鹿島の神;藤原氏守護神;第一殿)、経津主命(ふつぬし:下総国香取の神;第2殿)天児屋根命 (あめのこやね:河内国平岡の神;藤原氏祖神;第3殿)、比売神(ひめがみ:天児屋根命の妻;第4殿)。
藤原氏の隆盛とともに当社も隆盛し、平安時代初期には当社例祭の「春日祭」が官祭(勅祭)とされた。850年には武甕槌命と経津主命が、940年には天児屋根命が、朝廷から神階の最高位である正一位を授かった。927年の延喜式神名帳では「大和国添上郡 春日祭神四座 並名神大 月次新嘗」と記載されている。
藤原氏の氏寺である興福寺との関係が強く、平安時代初期の813年に藤原冬嗣が興福寺・南円堂を建立した際、その本尊の不空羂索観音(ふくうけんさく~/ふくうけんじゃく~)が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていき、平安時代、鎌倉時代、室町時代と長きにわたり、実質的に大和国を支配した。ただ、安土桃山時代に入り織豊政権に屈し、所領は大きく制限され、江戸時代も同規模で推移した。
明治時代に入り神仏分離令で興福寺が衰退する中、「春日神社」と改称し官幣大社に列した。昭和戦後に入り、他の多くの春日神社との混同回避のため「春日大社」と改称した。
当社は、JR奈良駅、近鉄奈良駅から市内循環バスで20分ほどの春日大社前バス停すぐの場所に二の鳥居がある。境内は透塀で囲われた神域以外にも非常に広く、社の数も非常に多い。丁寧に見て廻ろうとすると1、2時間では足りない感じ。
参拝時は週末の夕方で、雨は土砂降り、16時以降につき神域内の社殿の有料拝観はすでに終わっていたが、老若男女問わず多くの参拝者が来ていた。16時以降でも社務所は開いていて、御朱印は拝受することができた。
※春日神社前バス停から、あまり考えずに坂道を上がって行ったら、正門である南門ではなく、桂昌殿脇の進入不可の門に到達し頭が混乱。それは良しとして回廊伝いに何とか参拝所まで来ると、メインの特別拝観(神域の有料拝観)はすでに時間外で終了。これには大ショック。
早々の再参拝決定につき落ち込むが、せめて何かしっかりやって帰ろうと境内案内図を見て考え、今回は境内南部の摂末社を廻る「福の神 若宮十五社めぐり」を完璧に廻ることにした。
次回参拝時までペンディングなのは①「御本殿特別拝観 回廊内巡りと、②「開運招福 水谷九社めぐり」(境内北西部の摂末社を廻るもの)。
奈良時代の768年に平城京の主と五国民の繁栄を祈願するために藤原永手が創建。中臣氏、藤原氏の氏神である春日神を祀る。春日神は主祭神4柱の総称で、武甕槌命(たけみかづち:常陸国鹿島の神;藤原氏守護神;第一殿)、経津主命(ふつぬし:下総国香取の神;第2殿)天児屋根命 (あめのこやね:河内国平岡の神;藤原氏祖神;第3殿)、比売神(ひめがみ:天児屋根命の妻;第4殿)。
藤原氏の隆盛とともに当社も隆盛し、平安時代初期には当社例祭の「春日祭」が官祭(勅祭)とされた。850年には武甕槌命と経津主命が、940年には天児屋根命が、朝廷から神階の最高位である正一位を授かった。927年の延喜式神名帳では「大和国添上郡 春日祭神四座 並名神大 月次新嘗」と記載されている。
藤原氏の氏寺である興福寺との関係が強く、平安時代初期の813年に藤原冬嗣が興福寺・南円堂を建立した際、その本尊の不空羂索観音(ふくうけんさく~/ふくうけんじゃく~)が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていき、平安時代、鎌倉時代、室町時代と長きにわたり、実質的に大和国を支配した。ただ、安土桃山時代に入り織豊政権に屈し、所領は大きく制限され、江戸時代も同規模で推移した。
明治時代に入り神仏分離令で興福寺が衰退する中、「春日神社」と改称し官幣大社に列した。昭和戦後に入り、他の多くの春日神社との混同回避のため「春日大社」と改称した。
当社は、JR奈良駅、近鉄奈良駅から市内循環バスで20分ほどの春日大社前バス停すぐの場所に二の鳥居がある。境内は透塀で囲われた神域以外にも非常に広く、社の数も非常に多い。丁寧に見て廻ろうとすると1、2時間では足りない感じ。
参拝時は週末の夕方で、雨は土砂降り、16時以降につき神域内の社殿の有料拝観はすでに終わっていたが、老若男女問わず多くの参拝者が来ていた。16時以降でも社務所は開いていて、御朱印は拝受することができた。
※春日神社前バス停から、あまり考えずに坂道を上がって行ったら、正門である南門ではなく、桂昌殿脇の進入不可の門に到達し頭が混乱。それは良しとして回廊伝いに何とか参拝所まで来ると、メインの特別拝観(神域の有料拝観)はすでに時間外で終了。これには大ショック。
早々の再参拝決定につき落ち込むが、せめて何かしっかりやって帰ろうと境内案内図を見て考え、今回は境内南部の摂末社を廻る「福の神 若宮十五社めぐり」を完璧に廻ることにした。
次回参拝時までペンディングなのは①「御本殿特別拝観 回廊内巡りと、②「開運招福 水谷九社めぐり」(境内北西部の摂末社を廻るもの)。
市内循環バスを降りた場所から素直に(?)坂道を上がって行く。
有名神社の参道にしては地味だな~、人がほとんどいないな~と思いながら、なだらかな坂道をさらに進むと、、、
朱色の門があったので覗き込む。これが本殿?
なんか変。賽銭箱もない。進入禁止の看板。なんでかな?(他にも迷っている人が数名...)
なんか変。賽銭箱もない。進入禁止の看板。なんでかな?(他にも迷っている人が数名...)
右方向になだらかに下がって行く回廊があるので進んでみる。
2つ目の門。もっと変。もちろん賽銭箱もない。もちろん進入禁止の看板。
3つ目の門。やっぱり変だが、人が歩いているし、入れる状態になっている。
藤の花が七分咲き。素直にきれい。当社の巫女さんは全員、藤の花をモチーフにしたかんざしを頭に付けている。
(巫女さんは撮影禁止と外国語での注意書あり。笑)
(巫女さんは撮影禁止と外国語での注意書あり。笑)
やっと神社らしい建物が見えてきた。<拝殿>かな?
<拝殿>だと思ったら、後で案内板を見ると<参拝所>とのこと。
参拝所の奥には、特に何も見えない。うーん。。。
唯一気になったのは、左端に巨大な樹木の根の部分があって、その大きさは見事。
参拝所の後ろには授与所がある。御朱印はそちら。
参拝所の後ろには授与所がある。御朱印はそちら。
参拝所の右手に「特別参拝受付 500円」と書いた看板と建物があるが、よく見ると「本日の特別参拝受付は終了致しました」とある。
Σ(゚д゚lll)ガーン
社殿の主要なエリアが有料であることも、時間制限があることも知らなかったので、せっかく遠くから来たのに要再参拝に。敗因は事前調査をしなかったことなので分かりやすい...涙
Σ(゚д゚lll)ガーン
社殿の主要なエリアが有料であることも、時間制限があることも知らなかったので、せっかく遠くから来たのに要再参拝に。敗因は事前調査をしなかったことなので分かりやすい...涙
参拝所から振り返って<南門>を出る。随神門ではなくただの門。
自分の心を察してか、雨足が強くなり、大量の雨粒が写真にもしっかり写り込む。
自分の心を察してか、雨足が強くなり、大量の雨粒が写真にもしっかり写り込む。
ここでようやく境内案内板を発見。いかに順路を間違えたかを理解する。
ただ、このまま引き下がるのも悔しいので、せめて本殿以外の摂末社などをしっかり見て廻ろうと決める。
ただ、このまま引き下がるのも悔しいので、せめて本殿以外の摂末社などをしっかり見て廻ろうと決める。
南門近くの、神域の南側にあるはずの<榎本神社>。遷座中でいきなり遙拝...涙
それでは今から、<福の神 若宮十五社めぐり>をすることに。神域の南側にある摂末社を廻る。
神橋を渡って参道を進むとすぐ左手に現れる<本宮神社遙拝所>。御蓋山の本宮神社を遙拝する。768年に本社第一殿の御祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗って御蓋山頂上の浮雲峰に天降った神蹟。
さらに進むと、突き当りに当エリアのメインの<若宮>が見えて来る。右側の古巨木は<若宮大楠>。神功皇后の御手植えと伝わる。
<若宮>の手前に3つ社がある。こちらは参道左側に<②一童社(三輪神社)>。
参道左側、写真左は<③兵主神社>、右は<④南宮神社>。
いよいよメインの<①若宮>本殿が鳥居と塀で覆われている。
拝殿からの<①若宮>。
横から見た造り。拝殿の背後に建物がある(この後の一部摂末社にもこの建物がある)。
右手の一段下がった場所にある<⑮夫婦大国社>。
<若宮十五社めぐり>の受付がこちら。受付をして玉串札を受け取り、各社・各遥拝所で札を納め、満願で御朱印とおしるしが授与されるとのこと(受付:9時から15時)。
参道左側、2社に対して鳥居が立っている。写真左は<⑤広瀬神社>、右は<⑥葛城神社>。
参道左側、<⑦三十八所神社>。
参道右側に、<⑦三十八所神社>に対応する建物がある。
参道左側、<⑧佐良気神社>。
参道左側、<⑨明恵上人解脱上人春日明神遥拝所>。
参道左側、<⑩宗像神社>。
参道左側、立札がないと見過ごしそうな<護摩壇>。弘法大師(空海上人)が護摩を焚いて祈願されたとのこと。
参道最奥、<⑪紀伊神社>。拝殿正面に対応する建物がある。写真左側には<龍王珠石>。善女龍王が尾玉を納めたという。
参道右側、<⑫伊勢神宮遙拝所(磐座)>。
参道右側、<⑬元春日枚岡神社遥拝所>。
参道右側、たくさん赤い幟が立っている<⑭金龍神社>。これで15社満願!
再び参道を戻る。参道両側に建つ、古い奉納燈籠の数が半端ない。
再び<南門>。<若宮十五社めぐり>の所要時間は30分ほどであったが、満足度は高いかも。
ここから正規の<表参道>を下って、正規の境内入口の<二の鳥居>に向かう。
<表参道>の中ほどにある<到着殿>。
<二の鳥居>の近くに<伏鹿手水舎>。
<二の鳥居>の近くにある<祓戸神社>。
最後にやっと<二の鳥居>。狛犬にも歴史を感じる。
すてき
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惣一郎1269投稿
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