とうだいじ にがつどう
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方東大寺 二月堂のお参りの記録(5回目)
投稿日:2026年05月11日(月) 20時48分05秒
参拝:2026年4月吉日
東大寺二月堂は大仏殿東側 手向山の麓にあるお堂です。
東大寺では大仏殿の次に有名なお堂だと思います。
お水取りはTVでも紹介されるぐらいですから 建物を観たら 「はいはい」って必ずなると思います。
下から見上げる二月堂も素敵ですが ぜひとも石段を上がっていただき 二月堂の舞台に立っていただきたいです。
私は南側の石段から上がりました。
写真には撮らなかったのですが 奈良公園と市街がきれいに見渡せます。
北側と南側に手水があるのですが これがまた冷たくて気持ちよい。
南側の水は飲めますが 北側の水は飲めませんので注意してください。
舞台で合掌していらっしゃる人が多いですが どうぞお堂に上がって参拝しましょう。
内陣を見ることだってできます。
内陣は祈祷の場にもなっているようで 儀式で使う仏具が並んでいました。
ご本尊は2体の十一面観音だそうですが 絶対秘仏で拝顔はできません。
その代わりに 御正躰(懸け仏)を見ることができます。
内陣上部に お皿のような円盤がありその中央に仏様がいらっしゃいます。
これが御正躰です。
煤払いをして調査したところ 徳川綱吉の母の桂昌院が寄進したものだと分かったそうです。
350年ほど前のものになります。
煤払い 大切ですね。
北側の回廊になった石段を下りました。
ちょうど回廊が終わとうという場所に 毘沙門堂があります。
これがお堂だと気づく人は そう多くはないと思います。
内陣を見てみると ちゃんと毘沙門天の拝顔ができます。
そして回廊から出ると 次は鬼子母神堂があります。
これも大概の方はスルーしていらっしゃいます。
秘仏なのか 中に写真が置かれていました。
二月堂のすぐ下には 閼伽井屋があります。
鎌倉時代の建立で 若狭井屋とも呼ばれます。
お水取りを行う際に使用されます。
二月堂では お堂のお線香の香が気に入ったので 購入しました。
ネット情報です。
二月堂は 東大寺金堂(大仏殿)の東方 坂道を上り詰めた丘陵部に位置する 十一面観音を本尊とする仏堂である。
すぐ南には三月堂の通称で知られる法華堂がある。
これらの堂が所在する一画を「上院」(じょういん)と称し 大仏開眼以前から存在した 東大寺の前身寺院があった場所である。
堂の創建については同時代の史料に言及がなく 確実なことは不明である。
二月堂や南隣の法華堂付近は 大仏開眼以前から東大寺の前身にあたる福寿寺や金鐘寺などの寺院が存在したところであり 二月堂前の仏餉屋(ぶっしょうのや)の解体修理に伴う発掘調査によって 前身寺院の遺構や8世紀前半の瓦が出土している。
「お水取り」は正式には修二会といい 8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。
『二月堂縁起絵巻』(1545年・天文14年)等が伝える寺伝によると 修二会の始まりは次のようであった。
751年(天平勝宝3年)のこと 実忠が笠置(現在の京都府南部 笠置町)の龍穴の奥へ入っていくと そこは都卒天(兜率天)の内院に通じており そこでは天人らが生身(しょうじん)の十一面観音を中心に悔過(けか)の行法を行っていた。
悔過とは読んで字のごとく 自らの過ちを観音に懺悔(さんげ)することである。
実忠はこの行法を人間界に持ち帰りたいと願ったが そのためには生身の十一面観音を祀らねばならないという。
下界に戻った実忠は 難波津の海岸から 観音の住するという海のかなたの補陀洛山へ向けて香花を捧げて供養した。
すると その甲斐あってか 100日ほどして生身の十一面観音が海上から来迎した。
実忠の感得した観音は銅製7寸の像で 人肌のように温かかったという。
以上は説話であるが ここに登場する実忠という人物は その出自等の詳細は不明ながら 実在の僧である。
東大寺では大仏殿の次に有名なお堂だと思います。
お水取りはTVでも紹介されるぐらいですから 建物を観たら 「はいはい」って必ずなると思います。
下から見上げる二月堂も素敵ですが ぜひとも石段を上がっていただき 二月堂の舞台に立っていただきたいです。
私は南側の石段から上がりました。
写真には撮らなかったのですが 奈良公園と市街がきれいに見渡せます。
北側と南側に手水があるのですが これがまた冷たくて気持ちよい。
南側の水は飲めますが 北側の水は飲めませんので注意してください。
舞台で合掌していらっしゃる人が多いですが どうぞお堂に上がって参拝しましょう。
内陣を見ることだってできます。
内陣は祈祷の場にもなっているようで 儀式で使う仏具が並んでいました。
ご本尊は2体の十一面観音だそうですが 絶対秘仏で拝顔はできません。
その代わりに 御正躰(懸け仏)を見ることができます。
内陣上部に お皿のような円盤がありその中央に仏様がいらっしゃいます。
これが御正躰です。
煤払いをして調査したところ 徳川綱吉の母の桂昌院が寄進したものだと分かったそうです。
350年ほど前のものになります。
煤払い 大切ですね。
北側の回廊になった石段を下りました。
ちょうど回廊が終わとうという場所に 毘沙門堂があります。
これがお堂だと気づく人は そう多くはないと思います。
内陣を見てみると ちゃんと毘沙門天の拝顔ができます。
そして回廊から出ると 次は鬼子母神堂があります。
これも大概の方はスルーしていらっしゃいます。
秘仏なのか 中に写真が置かれていました。
二月堂のすぐ下には 閼伽井屋があります。
鎌倉時代の建立で 若狭井屋とも呼ばれます。
お水取りを行う際に使用されます。
二月堂では お堂のお線香の香が気に入ったので 購入しました。
ネット情報です。
二月堂は 東大寺金堂(大仏殿)の東方 坂道を上り詰めた丘陵部に位置する 十一面観音を本尊とする仏堂である。
すぐ南には三月堂の通称で知られる法華堂がある。
これらの堂が所在する一画を「上院」(じょういん)と称し 大仏開眼以前から存在した 東大寺の前身寺院があった場所である。
堂の創建については同時代の史料に言及がなく 確実なことは不明である。
二月堂や南隣の法華堂付近は 大仏開眼以前から東大寺の前身にあたる福寿寺や金鐘寺などの寺院が存在したところであり 二月堂前の仏餉屋(ぶっしょうのや)の解体修理に伴う発掘調査によって 前身寺院の遺構や8世紀前半の瓦が出土している。
「お水取り」は正式には修二会といい 8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。
『二月堂縁起絵巻』(1545年・天文14年)等が伝える寺伝によると 修二会の始まりは次のようであった。
751年(天平勝宝3年)のこと 実忠が笠置(現在の京都府南部 笠置町)の龍穴の奥へ入っていくと そこは都卒天(兜率天)の内院に通じており そこでは天人らが生身(しょうじん)の十一面観音を中心に悔過(けか)の行法を行っていた。
悔過とは読んで字のごとく 自らの過ちを観音に懺悔(さんげ)することである。
実忠はこの行法を人間界に持ち帰りたいと願ったが そのためには生身の十一面観音を祀らねばならないという。
下界に戻った実忠は 難波津の海岸から 観音の住するという海のかなたの補陀洛山へ向けて香花を捧げて供養した。
すると その甲斐あってか 100日ほどして生身の十一面観音が海上から来迎した。
実忠の感得した観音は銅製7寸の像で 人肌のように温かかったという。
以上は説話であるが ここに登場する実忠という人物は その出自等の詳細は不明ながら 実在の僧である。

三月堂裏手に手水があります

この石段はぜひ上がってもらいたいです

南側の手水 こちらの水は飲めます

二月堂南側の拝所

下げられている燈籠もきれいでしょ

二月堂内陣

二月堂御正躰(懸け仏)は十一面観世音菩薩

こんな照明(燈籠?)もありました

二月堂北側の拝所

北側の手水 この水は飲めません

下りは回廊の石段を

回廊を見上げるとこんな感じ

回廊から見上げた舞台

回廊下りたら毘沙門堂

毘沙門堂って書いてある 気づくかなぁ 気づかない人多いと思います

拝顔できます

回廊を出たら鬼子母神堂 気づかない人多いと思います

内陣

閼伽井屋 お水取りで使われる

説明

若狭井と書かれていました
すてき
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん3459投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。






