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たむけやまはちまんぐう

手向山八幡宮のお参りの記録(1回目)
奈良県近鉄奈良駅

投稿日:2021年04月25日(日) 20時04分16秒
参拝:2021年4月吉日
手向山八幡宮(たむけやま~)は、奈良県奈良市にある神社。旧社格は県社。主祭神は応神天皇ほか5柱。元東大寺の鎮守社。古今和歌集で菅原道真が当社の紅葉について詠んでいる。

創建は奈良時代の749年、東大寺および大仏を建立するにあたり、東大寺の守護神として九州の宇佐八幡宮を勧請。当初平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座。
平安時代前期の勅撰和歌集である古今集では、菅原道真が『このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに』と手向山の紅葉と当社について詠んでいる。平安末期、1180年の平重衡による南都焼討で焼失、鎌倉時代の1250年に北条時頼が現在地に再建した。
江戸時代の1691年に本殿が再建。明治時代の神仏分離で東大寺から独立した。なお、東大寺勧進所八幡殿にある木造僧形八幡神像(快慶作、国宝)は、もと手向山八幡宮にあり、明治の神仏分離の際に東大寺に移された。

当社は東大寺大仏殿前の道を東方向に入った正面にあり、東大寺法華堂(三月堂)の南側にある。境内は南北に広がりがあって、北にある法華堂(三月堂)と若草山山麓を結ぶ位置にある。

参拝時は週末の夕方で、雨が土砂降りだったこともあり、自分以外には一組二人しか参拝者はいなかった。16時以降であったが、社務所は開いていて、御朱印は拝受することができた。

※当社では、境内社について説明書きや社号札がないため、事前か事後にに調べないと名称すら分からない状態になる。
手向山八幡宮(奈良県)
東大寺大仏殿の敷地南東隅近くにある鳥居と社号標。ここから東方向に参道が伸びる。
手向山八幡宮のその他建物
参道の突き当りに<楼門(神門)>。
手向山八幡宮の山門・神門
<楼門>近景。
手向山八幡宮の山門・神門
<楼門>をくぐる。
手向山八幡宮の本殿・本堂
<拝殿>は壁がない形式で、<拝殿>を通して<本殿>が直接見える。
手向山八幡宮のその他建物
<楼門>をくぐって左側にある<授与所>。御朱印はこちら。
手向山八幡宮のその他建物
拝殿前から境内左手(北側)を望む。社殿は境内北側にあり、写真左側の<大国殿>が境内の北端。
手向山八幡宮の鳥居
境内最北端にある鳥居と社号標。東大寺法華堂(三月堂)の近く。
手向山八幡宮のその他建物
境内北端にある<大国殿>。
手向山八幡宮の手水舎
大国殿の近くにある<手水舎>。
手向山八幡宮の本殿・本堂
本殿の左側に小さな社殿がくっついている。調べてみると、こちらは<武内神社>。祭神は武内宿禰。
手向山八幡宮の本殿・本堂
北側から見た<本殿>。
手向山八幡宮のその他建物
拝殿前から境内右手(南側)を望む。
手向山八幡宮のその他建物
南側から見た<本殿>。
手向山八幡宮(奈良県)
ここから南に向かって進む。本殿側にある<菅公腰掛石>。菅原道真が座ったとされる石。
手向山八幡宮の末社・摂社
菅公腰掛石の右隣にある摂社<若宮神社>。祭神は仁徳天皇。手前が拝殿、透塀内に本殿。
手向山八幡宮(奈良県)
透塀内の<若宮神社>の本殿。
手向山八幡宮(奈良県)
若宮神社の参道を挟んで反対側に、何やら怪しげな建物が。メンテを長期間やっていない感じ...汗
手向山八幡宮の末社・摂社
社名の記載がないので、後で調べてみると、こちらは明治時代の神仏分離で東大寺から移された<東照宮>。
手向山八幡宮の末社・摂社
さらに南下する。左が明武神社、劔神社、八子神社、松童神社の<四社合殿>、右が阪本神社、恵比寿神社の<二社合殿>。
手向山八幡宮の末社・摂社
その右手にある<住吉神社>。住吉三神を祀る。この建物は国指定の重要文化財。
手向山八幡宮(奈良県)
建物を見てみても、社号札もなければ説明書きもない...重文なのにもったいないかも。
手向山八幡宮のその他建物
さらに南下して、境内の南端部。古木の根が良い感じ。
手向山八幡宮(奈良県)
境内最南端にある鳥居と社号標。この近くに巡回バスのバス停がある。

すてき

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