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じょうきょうじ|浄土真宗本願寺派

淨教寺の御由緒・歴史
奈良県 近鉄奈良駅

ご本尊 阿弥陀如来立像
ご由緒

浄土真宗本願寺派 淨教寺は寛元二年(1244)、行延法師によって開基され、今日に至っております。
行延法師(1206‐1280)は、河内国八尾の庄司真野行延(まの ゆきのぶ)といい、智勇兼備の武士であったが、浄土真宗、開祖親鸞聖人の直弟子となり、寛元二年三月出家して、法名を行延(ぎょうえん)と賜う。と淨教寺由緒略記に記されている。
平成6年10月には、西本願寺前門主大谷光照猊下を迎えて開創750年の大法要を嚴修した。参詣はのべ3000名を超えた。

「由緒記」から
一.第6世圓誓のとき楠正季の子、正忠の子、初陣に深手を負い、空信と法名授かり第7世を継ぐ。
  當山定紋、九耀菊水を用いることこのゆえなり。
一.第11世行心のころ(1530)現大和郡山市西城町に移る。
  石山合戦(本山と織田信長)の12世行春無二の忠節を尽した効により天正19年(1591)、顕如上人から御内佛の御
本尊を拝領し、御染筆にて「淨教寺」の号を賜る。
一.東照宮将軍(徳川家康公)宣下の御年、南都上三条町に於いて地子御赦免の寺地頂戴、則淨教寺此処にうつる。
慶長8年3月6日の時なり、とある。

淨教寺は当地に寺基を定めて、ことし(2003)で丁度400年となる。
H史家は「奈良という封建的世界に沈殿していた近世初期に真宗の根拠地が萌芽し、町衆や庶民層の帰依を得ていたことが判明する。」と記している。

明治21年6月5日、アーネスト・F・フェノロサ博士が淨教寺本堂で知事並びに市民への意義ある講演を行ったこと。
昭和25年から昭和55年まで、30年間稲垣瑞剱(いながき ずいけん)法師(昭56・1・13寂、享年97才)が伝道活動を集中的に行って下さったこと。
等 、特筆すべきことが多くある。
以来代々熱心な布教活動が行われて今日に至っている。
※HPより抜粋

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