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東大寺ではいただけません
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東大寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年04月23日(金)
参拝:2021年4月吉日
東大寺は、奈良県奈良市にある華厳宗大本山の寺院。正式名称は「金光明四天王護国寺」。南都七大寺の一つ。本尊は廬舎那仏(国宝)。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。
創建は8世紀前半で、開基は聖武天皇、開山は良弁。聖武天皇が国力を尽くして建立した寺院で、当寺の全国60余ヵ国に建立させた国分寺の中心、「総国分寺」に位置づけた。奈良時代の当寺の伽藍は南大門、中門、金堂(大仏殿)、講堂、僧坊、食堂(じきどう)のほか、東西2基の七重塔があり、伽藍の完成まで40年近くを要した。
平安時代には、桓武天皇の南都仏教抑圧策により圧迫を受けたが、当から帰国した空海が別当になり寺内に真言院が開かれ、最澄の天台宗を加え「八宗兼学の寺」となり繁栄した。
平安末期、1181年に平重衡による南都焼討で大仏殿など多くの伽藍を焼失したが、その後大勧進職の僧・俊乗房重源が再興にあたり1185年には後白河法皇列席で大仏開眼法要、1195年に源頼朝列席で新大仏殿の落慶法要が行われた。
戦国時代の1567年には三好松永の戦いの兵火で、大仏殿を含む多くの伽藍を再度焼失。その後大仏殿はすぐには再建されず、長らく大仏は露座のままであったが、江戸中期に僧・公慶の尽力や徳川綱吉とその母桂昌院などの寄付により1709年に再建大仏殿が完成した(間口は11間から7間へとダウンサイズされた)。講堂、食堂、東西の七重塔などは、その後再建されることはなかった。
当寺は、JR奈良駅、近鉄奈良駅から市内循環バスで数駅の東大寺大仏殿・春日大社前バス停のすぐ北側が広大な境内地になっている。
参拝時は週末の午後、天気は最悪で土砂降りの雨であったが、その割にはずいぶん多くの参拝者が来ていた。さすが奈良を代表する観光地。
※境内敷地が広すぎて、初心者には分かりにくい。今回の参拝では南大門から大仏殿に行き、その後は東側の鐘楼周辺(鐘楼ヶ丘)と法華堂周辺(上院)を見て廻って終えたため、西側の勧進所・戒壇堂周辺ははまったく廻っていない。要再参拝。
創建は8世紀前半で、開基は聖武天皇、開山は良弁。聖武天皇が国力を尽くして建立した寺院で、当寺の全国60余ヵ国に建立させた国分寺の中心、「総国分寺」に位置づけた。奈良時代の当寺の伽藍は南大門、中門、金堂(大仏殿)、講堂、僧坊、食堂(じきどう)のほか、東西2基の七重塔があり、伽藍の完成まで40年近くを要した。
平安時代には、桓武天皇の南都仏教抑圧策により圧迫を受けたが、当から帰国した空海が別当になり寺内に真言院が開かれ、最澄の天台宗を加え「八宗兼学の寺」となり繁栄した。
平安末期、1181年に平重衡による南都焼討で大仏殿など多くの伽藍を焼失したが、その後大勧進職の僧・俊乗房重源が再興にあたり1185年には後白河法皇列席で大仏開眼法要、1195年に源頼朝列席で新大仏殿の落慶法要が行われた。
戦国時代の1567年には三好松永の戦いの兵火で、大仏殿を含む多くの伽藍を再度焼失。その後大仏殿はすぐには再建されず、長らく大仏は露座のままであったが、江戸中期に僧・公慶の尽力や徳川綱吉とその母桂昌院などの寄付により1709年に再建大仏殿が完成した(間口は11間から7間へとダウンサイズされた)。講堂、食堂、東西の七重塔などは、その後再建されることはなかった。
当寺は、JR奈良駅、近鉄奈良駅から市内循環バスで数駅の東大寺大仏殿・春日大社前バス停のすぐ北側が広大な境内地になっている。
参拝時は週末の午後、天気は最悪で土砂降りの雨であったが、その割にはずいぶん多くの参拝者が来ていた。さすが奈良を代表する観光地。
※境内敷地が広すぎて、初心者には分かりにくい。今回の参拝では南大門から大仏殿に行き、その後は東側の鐘楼周辺(鐘楼ヶ丘)と法華堂周辺(上院)を見て廻って終えたため、西側の勧進所・戒壇堂周辺ははまったく廻っていない。要再参拝。
バス停のある十字路から車両進入禁止の参道のようになっている。左側に何軒か飲食店や土産物屋があって、それが終わると吉城川にかかる橋に至る(上写真)。土砂降りの雨の中、数頭の鹿がずぶ濡れで歓迎してくれた。
国宝<南大門>遠景。鎌倉時代の1199年に東大寺中興の祖・俊乗房重慶が中国宋から伝わった大仏様(天竺様)を建築様式として採用し再建。
国宝<南大門>近景。大仏様の建築様式の特徴は、貫(ぬき)と世慣れる柱を貫通する水平材を多用して構造を強化していることや、天井を張らずに構造材をそのまま装飾として見せていることなどとのこと。
国宝<木造金剛力士像>の左側・阿形(あぎょう、口を開いた像)。金剛力士像は高さ8.4mの巨大な木像で、1203年に大仏師・運慶、快慶、湛慶、定覚がわずか69日で造立。阿形は吽形とは作風が異なり、快慶が主となって制作されたと言われる。
国宝<木造金剛力士像>の右側・吽形(うんぎょう、口を閉じた像)。こちらは運慶が主となって制作されたと言われる。なお、一般的な仁王像の安置方法と比べると、阿形・吽形が左右逆になっている。
南大門下で雨宿りしていた鹿の群れの間を抜けて参道を進む。
参道を少し進んでから南大門を振り返る。南大門北面の東西の間には、国指定の重要文化財である<石造獅子像>が安置されている。1196年に中国宋の石工・字六郎が宋の石材を使って製作したもので、異国テイスト満点の珍しい狛犬らしい。自分は鹿ちゃんに気を取られて完全にスルー、見逃し...涙
やがて参道左側に現れる<東大寺ミュージアム>。
さらに進むと参道左側に<東大寺本坊>。
参道右側には<鏡池>と、そこに浮かぶ島の上に<厳島神社>。
<中門>遠景。江戸中期1716年ごろの再建。国指定の重要文化財。
<中門>近景。2階建ての入母屋造の楼門。両脇から「コ」の字形に東西回廊が伸び、大仏殿(金堂)の左右に至る。
中門に向かって左側に立つ<持国天>。東方を守護する武神。1716年の中門、東西廻廊の完成に合わせ、京仏師・山本順慶が持国・多聞の二天像を造立。1719年に開眼供養した。
中門に向かって右側に立つ<毘沙門天>。多聞天とほぼ同義で、北方を守護する武神。この像は特に「兜跋(とばつ)毘沙門天」と言われ、西域の兜跋国(トルファン)に仮現した特殊な異形像で金鎖甲を着け、三面立の冠を被る。確かに見た目はシルクロード的異国風。
中門の左手にある大仏殿入口を入り、順路を進むと<料金所>。
料金所を過ぎてから<大仏殿>を望む。非常に大きな建物でインパクト十分。手前の庭園もきれい。
国宝<大仏殿(金堂)>。1709年再建、寄棟造、本瓦葺。2階建てに見えるが、実は一重裳階付。現在は、間口57m、奥行50.5m、高さ46.8m。奈良時代の創建時は間口85m、奥行、高さは同じなので、もっと横に広かったみたい。
参道左手にある、使われていない<水屋>。そもそも参道の左側にあるため、順路上、大仏拝観後の順路にある。
大仏殿の手前にある、国宝<金銅八角燈籠>。奈良時代創建時の物。扉の4面に雲中を駆ける4頭の獅子を、他の4面に4種の異なる楽器(横笛、尺八、鈸子、笙)を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)を、鉄格子と唐草文様の透かしの上に浮彫で表現。
国宝<銅造廬舎那仏坐像>。大仏堂に入ってすぐ正面にある。像高14.7m。奈良時代の743年に聖武天皇が大仏造像の発願、749年に完成、752年に開眼供養会開催。のべ260万人が工事に関与、建造費は現在価値で4700億円とのこと。
※大仏殿の中では、嬉しいことに写真撮影OK、ただし三脚使用不可。
※大仏殿の中では、嬉しいことに写真撮影OK、ただし三脚使用不可。
大仏の左の脇侍<虚空蔵菩薩坐像>。木造寄木造。国指定の重要文化財。
大仏の右の脇侍<如意輪観音坐像>とともに、江戸中期に京都の仏師・山本順慶一門と大阪の仏師・椿井賢慶一門らが30年かけて制作、1752年完成。
大仏の右の脇侍<如意輪観音坐像>とともに、江戸中期に京都の仏師・山本順慶一門と大阪の仏師・椿井賢慶一門らが30年かけて制作、1752年完成。
<廬舎那仏>と<虚空蔵菩薩>のツーショット。
大仏の左側下に展示されている、国宝<大仏蓮弁・蓮華蔵世界図>。奈良時代中期制作、大仏が乗る蓮の花弁で、大きさは横2m超、これが28枚あり、反花含めると56枚ある。
連弁の上部には大きな<釈迦如来>が描かれていて、28の蓮弁には同じ絵図が掘られている。つまり28体の釈迦如来の上に廬舎那仏があって、全ての世界を総括するような世界観を表現しているとのことらしい。
虚空蔵菩薩の左側の順路を進むと<広目天像>。
虚空蔵菩薩の裏にある<持国天像・頭部>。
広目天像の右側に展示されている、奈良時代の東大寺伽藍の模型。やはり東西2つの<七重の塔>が目立つ。
大仏の裏側。抜かりなく仕上げられている。
広目天の逆サイドにある<多聞天像>。
大仏の右の脇侍<如意輪観音坐像>。左の脇侍<虚空蔵菩薩坐像>と同じく江戸中期の制作だが、14年早く1738年完成。
<廬舎那仏>と<如意輪観音>のツーショット。
教科書、雑誌などでも出て来る、黄金アングルからの大仏。
この写真を撮った場所から振り返ると授与所。御朱印はそちら。
この写真を撮った場所から振り返ると授与所。御朱印はそちら。
大仏殿を出ると、右手に<賓頭盧像>。
最後にもう一度、国宝<大仏殿>と国宝<金銅八角燈籠>。
すてき
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惣一郎1269投稿
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