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東大寺ではいただけません
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とうだいじ

東大寺のお参りの記録(2回目)
奈良県近鉄奈良駅

投稿日:2021年03月17日(水)
参拝:2021年3月吉日
東大寺投稿の二回目です。
大仏殿周辺を周ってみました。
一部を除いて華やかさもなく、普通に通り過ぎ、興味を持たれることもなく、悠久の時間に埋もれたところを周ってみました。
東大寺こその歴史の時間に気を留めてもらえる機会になれば。
映えない写真ばかりですが。
東大寺の山門
西面大路に開く三つの門のうち一番北の門です。
東大寺鎮守八幡宮(手向山神社)の転害(碾磑)会の時、ここに神輿を安置した
ことからの名といわれています。
1180年の平氏焼討や1567年の兵火のにも焼け残っています。
鎌倉初期に手が加えられているが、ほぼ天平の姿を留めています。
東大寺の周辺
中御門跡
西面大路に開く中門跡の礎石。
普通に車が通行しており案内もありません。
東大寺(奈良県)
西大門跡
創建当時は平城京の二条大路に向かって開いた西大門の方が、正門としての機能を持ち規模も大きかった。
治承の兵火後も再建されたが、1583年の大風で倒壊して以来再建されず。
石碑も立っていますが、やや北東が本来の門跡とみられています。
西大門に掲げられていた寺号勑額は、聖武天皇の自筆から10文字「金光明四天王護国之寺」を2行に彫り込んだとされています。
現物を東大寺ミュージアムで観ることができます。
東大寺の建物その他
大仏池より大仏殿を望む
大仏池が自然にあったものか人工的に造られたものかは判らないそうです。
東大寺の建物その他
戒壇院千手堂
千手堂は1998年(平成10)に全焼し2002年(平成14)に再建されています。
戒壇堂は耐震工事中のため拝観できません。
代わって千手堂が2013年4月以来の特別公開されています。
東大寺の山門
戒壇院戒壇堂 耐震工事のため閉門中です。
鑑真和上は天平勝宝六年四月・大仏殿の前庭に戒壇を築き聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇及び沙弥ら四百四十余人に授戒をほどこした。
この戒壇の土を大仏殿の西に移して造営されたのが戒壇院の戒壇です。
戒壇の四隅に安置されている塑像の四天王像は、江戸復興期・公慶上人が指図堂に安置されていたものを戒壇堂に移されたものですが、それ以前の所在は法華堂でないかと言われています。
四天王は耐震工事中の間は、東大寺ミュージアムで観賞することができます。、
東大寺の山門
勧進所 阿弥陀堂
1686年、露座のままだった大仏の修理・大仏殿の再建のため、公慶上人は東大寺勧進所内に龍松院を創建、ここを拠点にして京都・江戸へと勧進向かう。
勧進所には同年建立の阿弥陀堂のほか、八幡殿や公慶上人を祀る公慶堂があります。
八幡殿には、元は手向山八幡宮に祀られていたが、神仏分離により勧進所に移されて僧形八幡神像(国宝)が、八幡神の祭礼転害会の日(10月5日)に特別開扉されますがご確認を。通常一般公開されていません。
東大寺(奈良県)
指図堂
現在指図堂の立っている地は平安時代に創建された中門堂の跡地で、三好・松永の兵火で焼失したあとは空地となっていた。
100年余り経た江戸初期、大仏殿復興のため勧進所の建物が立ち並んだ。
その折、中門堂跡地には大仏殿の設計図面を掲げるお堂が建てられ、指図堂という名はこのことに由来しています。1791年このお堂は大風のために倒壊したが、その後浄土宗関係者から「この地は法然上人ゆかりの霊場であるから、上人の画像を本尊とするお堂を再建したい」との願出が東大寺に出され浄土宗徒の喜捨を受けて1852年頃に完成。
お堂の前に「圓光大師二十五霊場」の石標が立っています。
堂内より興福寺の五重塔の相輪が見えます。平日や閑散期には閉まっていることが多いので御朱印を希望される方はご確認を。
東大寺(奈良県)
子安神社
大仏殿と指図堂の間に白壁の土塀に囲まれた子安宮・子安明神とよばれる小社。
説明文には、東大寺古図には「富貴社」の記載があり享保年間の略録によると良弁僧正の母を祭祀したといい、「相模の国からこられた母がここに住し良弁は孝養を尽くした旨の説明がなされ「孝養社」と言ったと記されている。
安産と子孫繁栄を願う社として「富貴社」より改称されたものらしい。
東大寺の手水
西塔院跡
奈良時代に創建され平安時代の中期承平4年(934)落雷に伴う火災で一度焼失、再建が試みられるが長保元年(1000年)に再建途中で再度焼失、その後は再建されず
塔の高さは東塔と共に70mとも100mとも言われています。。史跡保存のため一見小高い土山、詳しい説明文もありません。
西塔跡に隣接して「一乗院宮墓地」が設けられていますが、宮内庁管轄であり立ち入りはできません。
東塔とちがい一般民家が隣接していますので、再建は困難かも。
塔や回廊の抜き取られた礎石の一部が、依水園後園の池の護岸石に残されており、南大門と春日山の借景が見られる庭園ですが、入園料が1200円ちょっと遠慮しました。
残りの部分は大阪へ運ばれたと言われています。
東大寺の建物その他
講堂跡
大仏殿の北側に有り、平氏の焼き討ちにより焼失、以降再建されていません。
礎石跡より観ると立派な講堂があったことが想像できます。
東大寺の建物その他
食堂跡の礎石
道路の中央にポツンとあります。多くの礎石にみられるような持ち出そうとしたのみの跡が残ります。
東大寺の建物その他
知足院
春日山ドライブウェイ入口に近い東大寺子院の一つですが、ほとんど手が入っておらず、ちょっと残念です。
東大寺の建物その他
猫段
大仏殿の東側、この階段で転ぶと来世は猫に生まれ変わると伝わる石段。
凸凹があり、階段の蹴り上げのリズムも独特なので、こういった話で足元注意を促したものとされていますが。
特に歩き難くは感じませんが、猫好きの方一度転んでみては。
東大寺の建物その他
東塔院跡
平成28年より発掘調査が行われ復興再建に向けた計画が進んでいます。現在は再び土が被さられ保護されています。
治承の兵火で焼失した東塔も13世紀前半に完成、1362年雷火で焼失後再建されていないと。
1970年の万博、古河パビリオンで高さ約70mの七重塔が鉄骨造で再建され、エレベーターで展望台へ昇れたそうですが、その時の相輪が大仏殿東南角に残されています。
やはり礎石類は抜き取られてありませんでした。
どのような形で再建されるのかは今後の計画となると思いますが、再建はいつの頃か、残念ながら私はちょっと観れそうにありません。

すてき

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