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がんごうじ|真言律宗

元興寺の御由緒・歴史
奈良県 近鉄奈良駅

ご本尊智光曼荼羅(阿弥陀如来)
ご由緒

 元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
 明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化しました。しかし、昭和十七年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興されることになりました。そして、戦後の文化財保護法や宗教法人等の制定によって復興されました。

歴史
歴史[編集] →「§ 衰微と分立」、および「§ 智光曼荼羅と尊像の信仰」も参照 極楽院は明治以降は荒れ果て、現在国宝に指定されている本堂も1950年(昭和25年)ころまでは床は落ち、屋根は破れて「化け物が出る」と言われたほどの荒れ方であった。 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)に極楽院の住職となった辻村泰圓は、戦後になって戦災孤児のための社会福祉事業に尽力するかたわら、境内の整備や建物の修理を進めた。1962年(昭和37年)には辻村により境内に財団法人元興寺仏教民俗資料研究所が設立され(1978年(昭和53年)に元興寺文化財研究所と改称)、1965年(昭和40年)には寺宝を収蔵展...Wikipediaで続きを読む
引用元情報元興寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%83%E8%88%88%E5%AF%BA&oldid=102385210

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