がんごうじ|真言律宗
元興寺の編集履歴
ご由緒
元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化しました。しかし、昭和十七年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興されることになりました。そして、戦後の文化財保護法や宗教法人等の制定によって復興されました。
編集前: 元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化しました。しかし、昭和十七年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興されることになりました。そして、戦後の文化財保護法や宗教法人等の制定によって復興されました。
見所
<h3>日本最古、飛鳥時代の瓦が残るお寺</h3>
<h3>西国四十九薬師霊場第5番札所</h3>
編集前:<h3>日本最古、飛鳥時代の瓦が残るお寺</h3>
<h3>西国四十九薬師霊場第5番札所</h3>
アクセス
近鉄奈良駅
徒歩・・駅から15分
バス・・福智院町下車、徒歩5分
JR奈良駅
徒歩・・駅から20分
バス・・田中町下車、徒歩5分
編集前:近鉄奈良駅
徒歩・・駅から15分
バス・・福智院町下車、徒歩5分
JR奈良駅
徒歩・・駅から20分
バス・・田中町下車、徒歩5分
駐車場
あり
トイレ
あり