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ならまちこうしんどう

ならまち庚申堂のお参りの記録(1回目)
奈良県京終駅

投稿日:2026年06月28日(日) 22時51分10秒
参拝:2026年5月吉日
ならまち庚申堂は奈良市西新屋町にあるお堂です。
小塔院から歩いてすぐの場所にありました。
お堂は新しくて 町の方々が維持管理されているようです。
お堂の掲示板には「奈良町庚申さん」の由来が貼られていました。
また 「三尸の虫」退治について書かれたものも貼られていました。
悪病や災難を持ってくるという「三尸の虫」は猿が大嫌いだったことから 人々は家の軒先に猿を吊るして悪病や災難が近寄らないようにおまじないをしているそうです。
そう言われれば ならまち散策をしていると こちらの庚申堂と同様に 身代わり猿なるものが吊り下げられていました。
この身代わり猿 飛騨で見た「さるぼぼ」に似ています。

ネット情報です。
庚申堂は 縁起によると飛鳥時代後期の第42代・文武天皇の時代(700年)から祀られるようになったとも言われています。
疫病が流行して住民が苦しんでいた時に元興寺の高僧・護命僧正(ごみょうそうじょう・小塔院僧正)が仏様に加護を祈っていると1月7日(庚申の年 庚申の月 庚申の日)に庚申講の本尊・青面金剛が現われ 「汝の至誠に感じ 悪病を祓ってやる」と言って消え去り 間もなく悪病が治まったことからこの地に青面金剛を祀り 悪病を持ってくるとも言われる三尸の虫(さんしのむし)を退治し 健康に暮らすことを念じて講をつくり 仏様を供養したと言われています。
ちなみに青面金剛はインド由来ではなく 中国の道教に由来し 日本では平安時代に貴族の間で始まった庚申信仰の中で独自に発展し 人間の体内にいると考えられていた三尸を押さえるとされています。
また庚申堂は室町時代の1451年(宝徳3年)に元興寺の金堂など主要堂宇が焼失した土一揆の後に祀られるようになったとも言われています。
江戸時代にくくり猿信仰が生まれたとも言われています。
なお庚申堂近くの奈良町資料館では身代わり猿が授与されているそうです。
ならまち庚申堂(奈良県)
お堂は新しいです
ならまち庚申堂(奈良県)
由来
ならまち庚申堂(奈良県)
三尸の虫退治について
ならまち庚申堂(奈良県)
千体地蔵・青面金剛・吉祥天女・地蔵菩薩 の提灯
ならまち庚申堂(奈良県)
内陣

すてき

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