じゅうりんいん
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楽しみ方十輪院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月21日(日) 00時04分34秒
参拝:2026年5月吉日
十輪院は奈良市にあるお寺です。
地名は十輪院町で こちらのお寺の名前が地名になっているほど有名なお寺です。
山門横には 国宝・重要文化財の看板もたっていました。
ですが実はもう時刻は夕方。
御朱印などは期待できない時間帯でした。
山門をくぐると左手に参拝受付があるのですが 残念ながら無人でした。
やはり到着が遅かったですね。
境内に入りますと これが何と素敵なお庭。
本堂前もすっきり素敵なのですが 入って右手にある庭園はすばらしいです。
池の中島には菖蒲が植わっていて 池には夫婦の河童の像が見られます。
回遊式庭園とまではいかないまでも それに近いです。
本堂には こちらのお寺の位を表すかのように蔀戸がありました。
蔀戸って 古刹や位の高い寺院で見られるものですから こちら十輪院は平安時代か鎌倉時代に創建されたものかな?と想像しました。
不動堂・御影堂もありました。
すべて建物の外での参拝となりました。
こちら十輪寺には再訪せなあきません。
ネット情報です。
山号は雨寶山
院号は十輪院
宗旨は古義真言宗
宗派は真言宗醍醐派
ご本尊は地蔵菩薩(重要文化財)
創建年は伝・弘安6年(1283年)
開基は伝・朝野魚養、元正天皇(勅願)
正式名は雨寶山十輪院
札所は大和北部八十八ヶ所霊場第6番・大和地蔵十福霊場第3番
元は大寺院だった元興寺の子院である。
寺伝によると奈良時代に右大臣・吉備真備の長男とされる朝野宿禰魚養が 元正天皇の旧殿を拝領し創建したと伝わる。
その後 弘仁年間(810年 - 824年)には弘法大師が留錫したという。
朝野魚養は能書(書道の名人)とされ 空海の書の師ともいうが 伝記のはっきりしない人物である。
十輪院については 『大和名所記(和州旧跡幽考)』のような近世の地誌類には弘法大師の創建とも伝え 創建の正確な時期や事情については不明である。
「十輪院」の名称の文献上の初見は 鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』(弘安6年・1283年成立)とされている。
十輪院の寺名は 『地蔵十輪経』に拠ったものと考えられている。
現存する本堂 石仏龕(せきぶつがん) 東京へ移築された宝蔵などはいずれも正確な年代は不明ながら鎌倉時代のものとされており 鎌倉時代には地蔵信仰の寺院として栄えていたと思われる。
中世以降は庶民の地蔵信仰の寺として栄えた。
室町時代から天正13年(1585年)までは院領300石を領したが 豊臣秀長に没収され また兵乱により堂宇宝物なども大きく被害を受けた。
しかし慶長7年(1602年)に 徳川家康より添上郡肘塚町・法華寺町内に寺領50石の寄進を受け 本堂 石仏龕の修復などが進み 一般大衆の地蔵信仰の高まりと相まって次第に寺勢は興隆した。
明治維新後は校倉造の宝蔵を手放すなど 一時寺勢は衰えたが 1955年(昭和30年)に本堂・南門の文化財としての解体大修理が行われ 以降1962年(昭和37年)に不動堂の修理 1976年(昭和51年)に御影堂の解体修理と続き 境内が整っていった。
地名は十輪院町で こちらのお寺の名前が地名になっているほど有名なお寺です。
山門横には 国宝・重要文化財の看板もたっていました。
ですが実はもう時刻は夕方。
御朱印などは期待できない時間帯でした。
山門をくぐると左手に参拝受付があるのですが 残念ながら無人でした。
やはり到着が遅かったですね。
境内に入りますと これが何と素敵なお庭。
本堂前もすっきり素敵なのですが 入って右手にある庭園はすばらしいです。
池の中島には菖蒲が植わっていて 池には夫婦の河童の像が見られます。
回遊式庭園とまではいかないまでも それに近いです。
本堂には こちらのお寺の位を表すかのように蔀戸がありました。
蔀戸って 古刹や位の高い寺院で見られるものですから こちら十輪院は平安時代か鎌倉時代に創建されたものかな?と想像しました。
不動堂・御影堂もありました。
すべて建物の外での参拝となりました。
こちら十輪寺には再訪せなあきません。
ネット情報です。
山号は雨寶山
院号は十輪院
宗旨は古義真言宗
宗派は真言宗醍醐派
ご本尊は地蔵菩薩(重要文化財)
創建年は伝・弘安6年(1283年)
開基は伝・朝野魚養、元正天皇(勅願)
正式名は雨寶山十輪院
札所は大和北部八十八ヶ所霊場第6番・大和地蔵十福霊場第3番
元は大寺院だった元興寺の子院である。
寺伝によると奈良時代に右大臣・吉備真備の長男とされる朝野宿禰魚養が 元正天皇の旧殿を拝領し創建したと伝わる。
その後 弘仁年間(810年 - 824年)には弘法大師が留錫したという。
朝野魚養は能書(書道の名人)とされ 空海の書の師ともいうが 伝記のはっきりしない人物である。
十輪院については 『大和名所記(和州旧跡幽考)』のような近世の地誌類には弘法大師の創建とも伝え 創建の正確な時期や事情については不明である。
「十輪院」の名称の文献上の初見は 鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』(弘安6年・1283年成立)とされている。
十輪院の寺名は 『地蔵十輪経』に拠ったものと考えられている。
現存する本堂 石仏龕(せきぶつがん) 東京へ移築された宝蔵などはいずれも正確な年代は不明ながら鎌倉時代のものとされており 鎌倉時代には地蔵信仰の寺院として栄えていたと思われる。
中世以降は庶民の地蔵信仰の寺として栄えた。
室町時代から天正13年(1585年)までは院領300石を領したが 豊臣秀長に没収され また兵乱により堂宇宝物なども大きく被害を受けた。
しかし慶長7年(1602年)に 徳川家康より添上郡肘塚町・法華寺町内に寺領50石の寄進を受け 本堂 石仏龕の修復などが進み 一般大衆の地蔵信仰の高まりと相まって次第に寺勢は興隆した。
明治維新後は校倉造の宝蔵を手放すなど 一時寺勢は衰えたが 1955年(昭和30年)に本堂・南門の文化財としての解体大修理が行われ 以降1962年(昭和37年)に不動堂の修理 1976年(昭和51年)に御影堂の解体修理と続き 境内が整っていった。

国宝・重要文化財 ありますよ~

由緒じゃないけど説明 銅板に自分が写り込んでしまいました スマートでしょ(笑)

山門は開いていました

土塀と竹塀(?)がきれい

朝のお勤め 一緒にできるんですって

境内はとてもすっきり整えられていてきれいでした

山門入ってすぐ左手に拝観受付・・・無人でした(やっぱり遅かったかぁ)

不動堂

水盤 (影が映り込む時間ですので)

立派な本堂

蔀戸ですよ 位を感じます

由緒書

縁起

御影堂

永代供養墓

きれいなお庭

池のそばに不動明王
すてき
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん3576投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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