おびとけでら|華厳宗|子安山
帯解寺のお参りの記録一覧
娘の安産祈願に行って来ました。
秋晴れの日曜日の戌の日と言う事もあり、たくさんの人でした。
ご祈祷後に、ご本尊さまを拝見させて頂き、しっかりと安産祈願し、帰らせて頂きました。
今回は奈良県の寺院巡りをしました。
先ず1寺目は、奈良市の中心地から南へ約6kmの所に在る子安山 帯解寺です。
安産祈願のお寺で超有名。よって、男性1人で参拝するにはやや勇気が要ります。(若いご夫婦や母親と娘さんの参拝客が殆どなので。3/12は戌の日でなくて良かった。)
こちらは毎年、春と秋に特別公開しています。この春は3/6~15でしたので参拝しました。
華厳宗で、本尊は地蔵菩薩。
この本尊・地蔵菩薩半跏像は重文です。
8世紀末~9世紀初に、空海の師である勤操によって開かれたと伝わります。
長らく世継ぎに恵まれなかった文徳天皇后の藤原明子がこちらの地蔵菩薩に祈願をしたところ、惟仁親王(後の清和天皇)を懐妊し、無事出産された事から、858年に文徳天皇の勅願により伽藍が建立され、勅命により帯解寺となった。江戸時代には、2代将軍・徳川秀忠の正室・お江の方が祈願され、竹千代丸(3代将軍・徳川家光)を出産。更に、徳川家光に世継ぎがなく、側室の御楽の方が同様に祈願され、4代将軍・徳川家綱を出産。徳川家光は誕生釈迦佛等の仏像・仏具を寄進。1663年には徳川家綱より手水鉢の寄進がありました。(現存)
寺院の周りに多数の無料駐車場があります。山門横の駐車場に停めさせて頂きました。横から境内に入れますが、いつも通りに山門から。
山門をくぐると正面に本堂、右側は本堂軒続きの本坊(授与所)、鐘楼。直ぐ左側には徳川家綱寄進の手水、稲荷社、波切不動尊、石造十三重塔、その奥に清和閣があります。
戌の日ではありませんが、日曜日だったため御祈祷を申し込まれた妊婦さんご家族が結構いらっしゃいました。
当方は授与所で拝観を申し込み(拝観料600円)すると名前を呼ぶので本堂の中で待ってくれと。ついでに御朱印をお願いしておきました。どうも拝観のみの場合は、御祈祷と御祈祷の間の入替えタイミングで簡単な説明と拝観をさせて頂ける様でした。外から見てわかったのですが、本尊・地蔵菩薩は本堂の奥に設えた収蔵庫の様な建物の中に安置されています。その入口から地蔵菩薩半跏像を拝観しました。間近から観れると思っていたので若干距離があり残念。
高さ約183cm、鎌倉時代の作、左足を踏み下げた半跏像、錫杖と宝珠を持っています。どっしりとし、顔を大きく安定感を生みます。お腹に紐の結び目があり、腹帯地蔵と呼ばれる所以。御祈祷された妊婦さんが拝すると安心されると思います。手前の左側の脇間には十一面観音立像と三十三観音、右側の脇間には千手観音立像を中心に文殊菩薩、愛染明王、不動明王、大黒天、等が安置されていました。本堂を出て渡り廊下で清和閣へ。中尊に薬師如来、春日赤童子(画・市指定文化財)、三面六臂大黒天、誕生釈迦佛、虚空蔵菩薩、等が安置されていました。
授与所で御朱印帳を受け取り、駐車場の一角にある小町之宮に手を合わせて次へ向かいました。
御朱印
山門
特別公開の案内看板
本坊の授与所
手水(徳川家綱より寄進)
本堂
本尊・地蔵菩薩半跏像(重文)
(ネットから転載)
清和閣
春日赤童子(市指定文化財)
三面六臂大黒天
清和閣からの本堂
稲荷社
波切不動尊
石造十三重塔
新御堂
小町之宮
帯解とは妊婦が胎児を守るために腹に巻く岩田帯(岩のように強い子を産むという
意味のさらし布)が解け、無事に子を授かった事を意味するそうです。
「戌」の日には、特に参詣者が多く、お母さんと娘さんの二人連れ姿が常々見受けられ、全国から安産祈願が絶えない寺であり、日本最古の安産祈願のお寺です。
戌(犬)は多産だから、お産が軽いとして出産に関する行事は戌の日が吉日とされています。
全国で帯解寺は、ここ一寺のみだそうです。
寺の前身は空海の師である勤操大徳が、宝亀年間(770~780)に創建した岩淵寺の
子院のひとつ霊松庵にそのルーツがあるとされています。
子宝に恵まれなかった文徳天皇の后、染殿皇后が春日明神のお告げに従い、
勅使をたて霊松庵の地蔵菩薩に詣でたところまもなく清和天皇を出産した。
喜んだ文徳天皇は858年(天安2)に伽藍を建立、寺名を帯解寺とするよう命じたと。山号は子安山、宗派は華厳宗。
江戸時代には二代将軍秀忠の正室お江与の方が祈願して家光を産み、
家光もこの寺の報恩により四代将軍家綱を授かったとされています。
現在の皇室とも関わりが深く、美智子皇太后・皇后雅子さま・皇太子妃紀子様の
ご懐妊に際し岩田帯・お守りを献納しているそうです。
山門(表門)
二代将軍秀忠の正室お江与の方が、のちの三代将軍家光を授かったお礼に山門を寄進。
安政の大地震で倒壊し、現在の簡素な四脚門に再建された。
徳川家綱寄進の手水鉢
寛文二年二月(1662)銘あり。
本堂
1567年(永禄10)松永久秀による兵火で堂宇が焼け落ち江戸時代に復興される。
だが、安政の大地震(1855)で倒壊、1858(安政5)年に再建されて現在にいたります。
本尊も大破したといい、各部に修理の痕跡が見られるようです。
本堂外陣
内陣の本尊は腹前に裳の上端の布や結び紐が表されていることから、腹帯地蔵と言われる子安地蔵菩薩。
弘法大師一刀三礼の作とも伝えられるが、鎌倉時代の仏像とのこと。
地蔵とは、大地のすべての生命の苦悩を包み込むという意味だそうです。
親より先に死んだ子は、親への功徳を積んでいないので三途の川を渡れず、
賽の河原で鬼に塔婆づくりを強いられ、永遠に石を積み続けなければならないと俗信されました。
地蔵菩薩は、往生できない子供たちを鬼から救い成仏への道を開くと言われています。
内陣の参拝は寺務所に聞いていただき、400円にて住職に説明していただけました。
十三重の塔
背後には奈良市の花・八重桜。
新御堂
永らく途絶えていた護摩祈祷復活のため平成20年秋に完成。
一階が回向殿、二階が祈祷殿となっています。
新御堂西壁面の釈迦誕生レリーフと説明文
釈尊の母・マーヤ夫人は白象の胎内に入る夢を見て懐妊、月満ちて出産の時を迎え、故郷に赴く途中、ルンビニー国のサーラ樹の下で釈尊を生んだと伝えられている。
釈尊は誕生後ただちに四方に七歩歩んで「天上天下唯我独尊」と唱えられた。
雨の中にたたずむ水子地蔵達
雨の日も、灼熱の太陽が照りつける日も、北風がビュービュー吹き付ける日も、じっとたたずむ、再びこの世に生を受けた時は元気に育ちたい。
小野小町の祠
平安時代の絶世の美女と謳われた小野小町を偲び参拝する人が「心の美人となって幸せに生きられるよう、毎年4月24日14時に法要が営まれますが、コロナ禍では関係者のみで営まれています。
境内で江戸時代に存在した「小町の宮」の跡地に石碑が建てられ、やがて祠も建立。
そこには、小町の一刀彫りの人形が納めれれています。
祠は無料駐車場の角にあります。
信徒会館「清和閣」
トイレはこちらでお借りします。
写経会は、大安・戌の日・土・日・祝日・毎月二十三日の午後にあるようです。
奈良県のおすすめ2選❄️
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