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唐招提寺ではいただけません
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とうしょうだいじ

唐招提寺のお参りの記録(1回目)
奈良県西ノ京駅

投稿日:2022年10月16日(日)
参拝:2022年9月吉日
律宗の総本山。開山は鑑真和上。
井上靖の小説「天平の甍」で有名。鑑真が渡日したのは753年、翌年東大寺に入り聖武天皇・孝謙天皇・沙弥ら440余人に戒律を授ける。
鑑真は76歳で入滅するが、伽藍の造営と律宗の発展に尽力したのは和上に従って来日した如宝のよう。
都が平安京に遷ると一時衰え戒律制度も廃れ、平安末期には興福寺の末寺なったと云わる。
復興に尽力したのは、鎌倉中期の中興の祖といわれる覚盛。
5月19日の命日に行われる「団扇撒き」行事は有名。
伽藍は戦国時代に地震により大被害を受けるも、徳川時代に将軍綱吉や桂昌院らの寄進で改修が行われる。
その後も罹災と再建・改修を繰り返しながら現在の姿に。

二回に分けて、初回は南大門から戒壇方面を
唐招提寺(奈良県)
南大門
昭和35年創建当時の場所に天平様式で復元。
孝謙天皇直筆と伝える額の模作を掲げる。
唐招提寺の建物その他
南大門の扁額
寺伝では講堂若しくは中門に掲げられていたもの。
東大寺西大門のものとともに、今に残る奈良時代の扁額、周囲に飾りがついていたと想われる。
唐招提寺(奈良県)
金堂
奈良時代・国宝。正面を壁のない吹き曝し、金堂では唯一の奈良時代の遺構。
1200余の歳月の間に、平安・鎌倉・江戸・明治と4回の修理・補強が行われる。
平成の大修理により全面解体・大修理を受ける。
中央に廬舎那仏坐像、左に薬師如来立像、右の千手観音立像は最古最大。
唐招提寺の建物その他
金堂の鴟尾
平成の大修理により古来のものは新宝蔵館へ。
唐招提寺の建物その他
金堂の柱
円柱の中ほどがわずかに膨らんでいる、エンタシス。
唐招提寺(奈良県)
鼓楼(舎利殿)
和上請来の仏舎利を奉安していることから舎利殿とも呼ばれる。もとは経蔵。
団扇撒き行事はここで行われる。
覚盛上人が座禅を組んでいる時に蚊が飛んできて刺した。弟子が殺そうとした時「やめなさい、蚊に血を与えているこれも菩薩行、叩くのは不殺生戒に背く」と。
覚盛上人葬儀のおりに、法華寺の尼僧が団扇を供えたことから始まると伝。
唐招提寺の建物その他
講堂
平城宮の東朝集殿を移築した建物。
現在唯一の奈良時代の宮殿建築、天平時代の講堂は他に法隆寺の伝法堂が現存。
唐招提寺に移されることがなければ、平城宮の建物はこの世から消えていたことに。
唐招提寺の建物その他
鐘楼
創建時の建造物ではないが、鐘楼は平安時代初期のもの。
唐招提寺(奈良県)
礼堂から東室を
もとの僧房を1283年改築、南北に長い建物で従来は僧侶の起居した僧坊。
唐招提寺の建物その他
礼堂と東室の間にある馬道
唐招提寺(奈良県)
食堂跡
雑木林、礎石や土壇は確認できず。
唐招提寺(奈良県)
会津八一歌碑
おほてらの まろきはしらの つきかげの うちにふみつつ ものをこそおもへ
唐招提寺(奈良県)
松瀬青々句碑
唐招提寺(奈良県)
戒壇
戒壇に登り「三師七証」のもとで、戒律を保つことを誓う授戒儀式を経て、正式な僧侶と認められる。
創建時に築かれた戒壇は中世に廃絶、現在の戒壇は1284年再興。
基壇上の宝塔は昭和53年に築かれたもの。
五代将軍綱吉の時代に桂昌院の寄進によって、きらびやかな戒壇堂が建立されるも、幕末1848年焼失。
唐招提寺(奈良県)
薬草園
金堂の大修理の際に仮設建築物が建設されたため一時閉園後の開園。
昔懐かしい薬草の香り。
園内や周辺に蓮の花を多くみられます。
蓮は泥水の中からも清浄な花を咲かせる姿が、仏の智慧や慈悲を象徴、
仏教と深いつながりが。
唐招提寺(奈良県)
西室跡

すてき

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