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こうてんぐう

昊天宮
長崎県 竹松駅

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惣一郎
惣一郎
2023年04月23日(日)1269投稿

【肥前國 古社巡り】

昊天宮(こうてんぐう)は、長崎県大村市宮小路にある神社。旧社格は村社。主祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、瓊瓊杵神、木花咲耶姫神、鵜葺草葺不合神、玉依姫神、相殿神は天照皇大神、素戔嗚神、副祭神は大村遠江守藤原直澄神(大村初代領主)。諏訪神社(長崎市)、亀山八幡宮(佐世保市)とともに「長崎三社」の1社と称される。

創建は不詳。社伝によると、上古より西方の鎮として肥前国彼杵郡の総鎮守とされ、大社として奈良時代712年に行基菩薩が御神体を郡ヶ岳の聖域で謹製奉納したと伝わる。平安時代になり当地を大村家が支配するようになると初代・直澄公を副祭して歴代の守護神とし、その保護を受けた。戦国時代の1474年に大村純伊公が有馬氏と数度合戦しなかなか勝利できなかったところ、日夜当社を祈願し、本堂川で垢離千日参拝をし、霊夢を得て大勝利をしたとされる。のち江戸時代には大村藩総鎮守として上下から崇敬を受けた。

当社は、JR大村線・大村車両基地駅の南方600mあまりの、国道34号線沿いの平地にある。周囲はおおむね住宅街。境内は市街地にあってもけっこう広く、古巨木も多く立っているが空が抜けていて明るい。社殿周りに境内社などちゃんと解説付きの見どころが多いのが特徴。普段神社と馴染みがない人でも、説明を読んでいくだけでかなり楽しめる。

今回は、「長崎三社」の1社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、地元の人を中心に何人かの参拝者が訪れていた。

昊天宮の鳥居

境内西端入口全景。鳥居両脇の巨大な古木が古社らしさを感じさせてくれる。

昊天宮の鳥居

境内入口の<鳥居>と<社号標>。

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神祇伯
神祇伯
2024年09月25日(水)1729投稿

大村市を代表する神社の一つで、創建は2000年以上を数えます。当社への戦勝祈願が無事叶ったことで、「幸を恵まれた」という意味から"幸天"の社名となり、"鳳凰が飛び立つ日"に因む「昊天」の字になりました。

昊天宮(長崎県)

《鳥居と社号碑》
👁チェックポイント‼️
HPに昊天=宇宙・大空を守護する天津神、とありますが、この大元は儒教経典に現れる宇宙の最高神が「昊天上帝」と呼ばれているそうです。
この宇宙の最高神という考え方自体が幕末の儒家神道、その後の平田篤胤先生が説いた宇宙の根源を由来とする復古神道の流れを感じますね。

昊天宮(長崎県)

《土俵》

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歴史

昊天宮は、今から二千年程前、郡平野に文化を築いた時代があり、当時の豪族がその一門の氏神をして建国の祖神をお祀りしたことに始まる。御縁起並に伝書等天正二年焼失により御代草創が明らかでないが上古より西方の鎮(しずめ)として肥前国彼杵郡の総鎮守となっている。大社として元明天皇の和銅五年(712年)に行基菩薩が御神体を郡ヶ岳の聖域で謹製奉納した。  
大村家御支配(平安時代)となりては、初代直純公を副祭して御歴代の守護神として御尊敬深く、兵乱には武運長久を祈り田地等数多く御寄進あり、祭祠の礼も最も厚く郡内はおろか他郡から貴賤老幼の参詣者群をなし、お祭りも大へん賑やかに執り行われていたが、文明六年十二月に、大村信濃守純伊公、有馬氏と萱瀬で数度合戦されたが、御勝利なく加々良島に潜居七ヶ月に及んだ。  
この間日夜御祈願になり、御身を本堂川に於いて垢離(身を清める)千日参拝するとの誓願を立てられ、武運の開発を祈られましたところ、霊夢を得て大勝利となり、文明十二年八月九日に御帰領になった。ここに昊天大神の思頼を尊び、祭祠の礼を厚く、社殿の造営を壮に、神田の寄進数町等、神社の面目を一新せられた。
この時、幸を恵まれたと言う意にて幸天(こうてん)と改名された。現在、市内の松や桜が付く地名は、昊天大神の神恩感謝に由来する。江戸時代には、大村藩総鎮守神と尊ばれた。  
平成二十四年十月、氏子崇敬者の赤誠により平成御造営がなされ、御本殿以下の建物が完成。古代以来再び大社の威容を拝するに至る。[当神社HP由緒書きより]

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昊天宮の情報

住所長崎県大村市宮小路2-537
行き方

昊天宮の基本情報

名称昊天宮
読み方こうてんぐう
参拝時間

授与所:09:00~17:00

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0957-55-8450

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://www.koutengu.jp
お守りあり

詳細情報

ご祭神,《主祭神》
 伊邪那岐神
 伊邪那美神
 瓊瓊杵神
 木花之佐久夜毘売神
 鵜葺草葺不合命神
 玉依毘売神
《相殿神》
 天照皇大神
 須佐之男神
《副祭神》
 大村直澄神
ご神体不詳
創建時代弥生時代
創始者大村氏の祖先
ご由緒

昊天宮は、今から二千年程前、郡平野に文化を築いた時代があり、当時の豪族がその一門の氏神をして建国の祖神をお祀りしたことに始まる。御縁起並に伝書等天正二年焼失により御代草創が明らかでないが上古より西方の鎮(しずめ)として肥前国彼杵郡の総鎮守となっている。大社として元明天皇の和銅五年(712年)に行基菩薩が御神体を郡ヶ岳の聖域で謹製奉納した。  
大村家御支配(平安時代)となりては、初代直純公を副祭して御歴代の守護神として御尊敬深く、兵乱には武運長久を祈り田地等数多く御寄進あり、祭祠の礼も最も厚く郡内はおろか他郡から貴賤老幼の参詣者群をなし、お祭りも大へん賑やかに執り行われていたが、文明六年十二月に、大村信濃守純伊公、有馬氏と萱瀬で数度合戦されたが、御勝利なく加々良島に潜居七ヶ月に及んだ。  
この間日夜御祈願になり、御身を本堂川に於いて垢離(身を清める)千日参拝するとの誓願を立てられ、武運の開発を祈られましたところ、霊夢を得て大勝利となり、文明十二年八月九日に御帰領になった。ここに昊天大神の思頼を尊び、祭祠の礼を厚く、社殿の造営を壮に、神田の寄進数町等、神社の面目を一新せられた。
この時、幸を恵まれたと言う意にて幸天(こうてん)と改名された。現在、市内の松や桜が付く地名は、昊天大神の神恩感謝に由来する。江戸時代には、大村藩総鎮守神と尊ばれた。  
平成二十四年十月、氏子崇敬者の赤誠により平成御造営がなされ、御本殿以下の建物が完成。古代以来再び大社の威容を拝するに至る。[当神社HP由緒書きより]

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体験
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