諫早神社(九州総守護 四面宮)の日常(34回目)|長崎県諫早駅
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投稿日:2024年09月28日(土)
時を遡ること、鎌倉時代中期。
日本は、モンゴル帝国(元)から
二度にわたって侵攻を受けました。
いわゆる蒙古襲来
元寇(げんこう)です。
令和6年の今年は
その一度目の侵攻である
「文永の役」から750年の節目の年。
二度の日本侵略の際、
軍勢はモンゴル帝国が圧倒的に優勢で
日本は絶体絶命の淵まで追い込まれました。
その時、暴風がおこり
その風によって
モンゴル帝国の侵攻は失敗に終わり
日本は九死に一生を得たと云われています。
この時に吹いた風のことを
「神風」とも言い
皆さんも、学校の教科書などで
目にしたことがあるかもしれません。
もし、この風が起きなかったら
日本が元軍から侵攻されていたとしたら
今の独立国としての日本は
存在していないかもしれませんし
今の日本社会はなかったかもしれません。
.
.
じつは、この風について
諫早神社のご祭神である
九州の守り神の「縁起書」の中に
この風の正体が
一身四面の九州の守り神だった
ということが記載されています。
つまり、
諫早神社のご祭神である
九州の守り神が、風を起こし
日本を窮地から守った
ということが描かれているのです。
.
.
今年750年の節目の年に
日本を守った
九州の守り神の御神徳を
多くの皆さまに感じていただき
ご加護をお届けできればと思っております。
このことが
先日お知らせしました
観光庁 ✕ 諫早神社の事業でございます。
内容はまたあらためてご案内いたします。
日本は、モンゴル帝国(元)から
二度にわたって侵攻を受けました。
いわゆる蒙古襲来
元寇(げんこう)です。
令和6年の今年は
その一度目の侵攻である
「文永の役」から750年の節目の年。
二度の日本侵略の際、
軍勢はモンゴル帝国が圧倒的に優勢で
日本は絶体絶命の淵まで追い込まれました。
その時、暴風がおこり
その風によって
モンゴル帝国の侵攻は失敗に終わり
日本は九死に一生を得たと云われています。
この時に吹いた風のことを
「神風」とも言い
皆さんも、学校の教科書などで
目にしたことがあるかもしれません。
もし、この風が起きなかったら
日本が元軍から侵攻されていたとしたら
今の独立国としての日本は
存在していないかもしれませんし
今の日本社会はなかったかもしれません。
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じつは、この風について
諫早神社のご祭神である
九州の守り神の「縁起書」の中に
この風の正体が
一身四面の九州の守り神だった
ということが記載されています。
つまり、
諫早神社のご祭神である
九州の守り神が、風を起こし
日本を窮地から守った
ということが描かれているのです。
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今年750年の節目の年に
日本を守った
九州の守り神の御神徳を
多くの皆さまに感じていただき
ご加護をお届けできればと思っております。
このことが
先日お知らせしました
観光庁 ✕ 諫早神社の事業でございます。
内容はまたあらためてご案内いたします。
すてき
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