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おきのこうじまじんじゃ

沖ノ神島神社

長崎県 たびら平戸口駅

御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
-

沖ノ神島神社の基本情報

住所長崎県北松浦郡小値賀町野崎郷
行き方
アクセスを詳しく見る
名称沖ノ神島神社
読み方おきのこうじまじんじゃ

詳細情報

ご祭神神島大明神、志々伎大明神、七郎大明神
創建時代704年(慶雲元年)

Wikipediaからの引用

概要
沖ノ神島神社(沖ノ神嶋神社、神島(嶋)神社、おきのこうじまじんじゃ)は、長崎県北松浦郡小値賀町野崎郷(野崎島)にある神社。境内の奇岩「王位石」で知られる。島内北端、標高305mの山の中腹の斜面(標高200m超)に建てられ、五島列島に所在する神社では最古の1つとされる。旧社格は郷社。 野崎島では江戸時代末期に移住してきた隠れキリシタンを除くほとんどの島民が同社の氏子であり、非キリスト教徒集落の野崎集落では親家(おやけ)と称する神官家を中心として、住民が非常に強い絆で結ばれていた。神官家は、野崎島の各集落が島外へ移住した後も残り続け、同島が無人島になる前の最後の住人となった。 本来は、本社を沖津宮、前方湾を挟んで対岸の小値賀島(本島)前方郷にある地ノ神島神社を本宮(辺津宮)とし、2社を合わせた1社として神島神社(または神島宮)と呼ばれた。主祭神は神島大明神(鴨分一速王命)で、志自岐大明神(十城別王命)と七郎大明神(七郎氏廣王)を併祭する。なお、十城別王命は、長崎県本土唯一の式内社として高い格式をもっていた志自岐神社(平戸島)の主祭神であり、鴨分一速王命の兄とされる。また、七郎氏廣王は二人の部下と伝える。
歴史
歴史[編集] 境内から見た小値賀島 704年 (慶雲元年) – 小値賀島の地ノ神島神社から分祀して創建。直前の702年(大宝2年)に南路(五島列島経由)に経路変更して遣唐使の再開がされていることから、遣唐使の安全を祈願する意図があったものとも言われている。 851年(嘉祥4年) – 正六位下授与(神階を参照)。 中世 – 別当寺として萬福寺が創建されたとされる。 1596年 (文禄5年) – 社殿再興[1]。 1625年 (寛永2年) – 永代神領として8石寄進[1]。 1702年(元禄15年) – 船着場普請。 1787年(天明7年) – 萬福寺が小値賀島前方郷へ移設。 18...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通[編集] 島内の野崎漁港より、上述の山越え参道にて徒歩約2時間半。なお、野崎漁港には小値賀島からの町営船が日に数回入港している。
行事
祭事[編集] 例祭(お山まいり) – かつて、8月2日から18日に行われていた大祭。参詣日は部落毎に決めていた。島内の過疎化に伴って1980年頃から社殿ではなく野崎郷の神官家で行うようになり、神官家の離島で幕を閉じた[1][2] 小値賀島の部落ごと、くじ(後に廃止)で参拝日を決め、座船を仕立てて参拝し豊作大漁の祈願をする。参拝帰りにはよく船漕競争が行われた。特に柳の東西両郷の船漕競争は年中行事の一つで、参詣する船を個人所有のを借り受けて、東部と西部に分け、船主が自分の好む漕手を選出して船漕競争をした。野崎に参詣しない人は村全員志々岐神社に参拝し、船の帰る時刻には浜に出迎えて陸からの応援で...Wikipediaで続きを読む
引用元情報沖ノ神島神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B2%96%E3%83%8E%E7%A5%9E%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=90641159

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