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いづはらはちまんぐうじんじゃ

厳原八幡宮神社の御由緒・歴史
長崎県 たびら平戸口駅

ご祭神《主祭神》
 応神天皇
 神功皇后
 仲哀天皇
 姫大神
 武内宿禰
創建時代天武天皇六年(677年)
ご由緒

本社は神功皇后三韓征伐の時対馬国に御着船ありて上県郡和珥の津より三韓に渡り給ひ、三韓を平げ給ひて凱旋の時、清水山にて行幸ありて此の山は神霊の止まるべき山と宜ひ神鏡と幣帛を岩上に置き、皇后親から天神地祇を祭りて永く異国の寇を守り給へと祈り給ひて、神籬磐境定め給ひし所と伝ふ。天武天皇白鳳四年の勅によりて、同六年茲に宮殿を造らしめ給ひて五柱の御神霊を鎮祭ありて八幡宮神社と稱し奉る。明治七年六月社格郷社に列せられ、大正五年十一月二十六日県社に昇格す。

歴史
歴史[編集] 社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、対馬の清水山に行啓し、この山は神霊が宿る山であるとして山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀ったという。677年(天武天皇6年)、天武天皇の命により清水山の麓に社殿を造営して八幡神を祀ったのに始まると伝える[1]。 1476年(文明8年)の棟札写に「それ当社はすなわち州の男山の原廟にして万世鎮国の霊神なり」とあり、八幡信仰の中心である石清水八幡宮の起源ともいわれている、という俗伝もあるが、近年当社で編集/発行されている『八幡宮神社由緒略記』には、これらの俗伝は採用されていないる[1]。 対馬には上県郡と下県郡に八幡宮があ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報厳原八幡宮神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8E%B3%E5%8E%9F%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=95834695

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