いづはらはちまんぐうじんじゃ
厳原八幡宮神社長崎県 たびら平戸口駅
社務所:09:00〜17:00(12:00〜13:00は神主さんランチタイム)
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり(有料) |
厳原八幡宮神社(いずはらはちまんぐうじんじゃ)
旧社格:県社
御祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、姫大神、武内宿禰
対馬で一番賑やかな厳原の街中に鎮座されてました。
参道の階段が三ヶ所ありますが、御本殿は一番右でした。
神社の駐車場は有料ですが、参拝者は無料とのこと。
駐車スペースのど真ん中で悠然と寝てました(笑)
どうもここに居ついているようです。
一応、危ないですよと声をかけたのですが、
また寝てしまいました(苦笑)
神門。
御社殿。
境内の真ん中の階段の上にあるのは宇努刀神社(うのとじんじゃ)
御祭神は須佐男命。
境内の左端の階段には天神神社・今宮 若宮神社がありました。
御祭神は安徳天皇・菅原道真公。
合祀されている若宮神社の御祭神は小西夫人マリア。
切支丹が祀られている神社も長崎ならではでしょうか?
手書きの御朱印を頂きました。
厳原八幡宮神社が対馬での最後の参拝でしたが、
対馬からの帰りのフェリーで揺られること1時間30分。
そろそろでは?と思い海上を探してみると見えました。
スマホの写真で小さくて見えにくくて申し訳ないのですが・・・
宗像大社の沖津宮が鎮座する『沖ノ島』
2度目の沖ノ島を見ることが出来てありがたや~
おまけで御朱印ではありませんが御船印を・・・
御船印帳は¥1980
御船印は¥300でした。
公式で対馬国の一宮は海神神社とされていますが、かつて海神神社が上津八幡宮と名乗っていたとき、下津八幡宮として対になっていたことから、こちらも一宮として信仰されています。
《一の鳥居》
左の横道から中の駐車場に入れます。
《二の鳥居》
《随身門》
《由緒書き》
かつては『延喜式神名帳』下県郡の和多都美神社の論社とされていました。
《手水舎》
《五重の塔》
境内に複数あります。
対馬は韓国人の移民が多いので、島の至る所にハングルの表記が見えます。
《拝殿》
《灯籠》
五七桐紋と菊紋です。
《平神社》
対馬国下県郡の式内社です。拝殿横に遷座しています。
《社務所》
《宇努刀神社》
上県郡の式内社ですが、こちらに遷座しています。
《天神神社》
安徳天皇を祀ってましたが、後世に菅原道真公を合祀しました。
《本殿》
左奥に宝物館があり、拝観料を支払うことで中に入れます。
海神神社がすごい辺境の地にあるのに対して、こちらは港近くにあるので参拝しやすいです。
本社は神功皇后三韓征伐の時対馬国に御着船ありて上県郡和珥の津より三韓に渡り給ひ、三韓を平げ給ひて凱旋の時、清水山にて行幸ありて此の山は神霊の止まるべき山と宜ひ神鏡と幣帛を岩上に置き、皇后親から天神地祇を祭りて永く異国の寇を守り給へと祈り給ひて、神籬磐境定め給ひし所と伝ふ。天武天皇白鳳四年の勅によりて、同六年茲に宮殿を造らしめ給ひて五柱の御神霊を鎮祭ありて八幡宮神社と稱し奉る。明治七年六月社格郷社に列せられ、大正五年十一月二十六日県社に昇格す。
名称 | 厳原八幡宮神社 |
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読み方 | いづはらはちまんぐうじんじゃ |
参拝時間 | 社務所:09:00〜17:00(12:00〜13:00は神主さんランチタイム) |
参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0920-52-0073 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
日本全国の一宮まとめ |
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ご祭神 | 《主祭神》 応神天皇 神功皇后 仲哀天皇 姫大神 武内宿禰 |
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創建時代 | 天武天皇六年(677年) |
本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 本社は神功皇后三韓征伐の時対馬国に御着船ありて上県郡和珥の津より三韓に渡り給ひ、三韓を平げ給ひて凱旋の時、清水山にて行幸ありて此の山は神霊の止まるべき山と宜ひ神鏡と幣帛を岩上に置き、皇后親から天神地祇を祭りて永く異国の寇を守り給へと祈り給ひて、神籬磐境定め給ひし所と伝ふ。天武天皇白鳳四年の勅によりて、同六年茲に宮殿を造らしめ給ひて五柱の御神霊を鎮祭ありて八幡宮神社と稱し奉る。明治七年六月社格郷社に列せられ、大正五年十一月二十六日県社に昇格す。 |
体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印博物館お守り祭りアニメなどサブカル一の宮伝説 |
概要 | 厳原八幡宮神社(いづはらはちまんぐうじんじゃ)は、長崎県対馬市厳原町中村にある神社。 正式な社名は「八幡宮神社」で、「厳原」という地名は入らないが、他所の八幡宮ないし八幡神社と区別するために、「厳原八幡宮」と呼ばれることもある。石段を登ると、楼門の先に拝殿が見える(写真。拝殿の奥に屋根だけ見えるのが本殿)が、楼門にかかる扁額も「八幡宮神社」と記す。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、対馬の清水山に行啓し、この山は神霊が宿る山であるとして山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀ったという。677年(天武天皇6年)、天武天皇の命により清水山の麓に社殿を造営して八幡神を祀ったのに始まると伝える[1]。 1476年(文明8年)の棟札写に「それ当社はすなわち州の男山の原廟にして万世鎮国の霊神なり」とあり、八幡信仰の中心である石清水八幡宮の起源ともいわれている、という俗伝もあるが、近年当社で編集/発行されている『八幡宮神社由緒略記』には、これらの俗伝は採用されていないる[1]。 対馬には上県郡と下県郡に八幡宮があ...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「厳原八幡宮神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8E%B3%E5%8E%9F%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101237571 |
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