もりやじんじゃ
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楽しみ方洩矢神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年08月17日(日) 21時44分23秒
参拝:2025年8月吉日
諏訪先住の国津神の洩矢神を祀る洩矢神社に参拝してきました。🙏
住宅地から山裾に鎮座しています。古木の社叢に包まれて木漏れ日に日影の風が心地よく、古い石灯篭が古に導いてくれます。
なぜか洩矢神社はゲームの東方projectの聖地として知られている場所らしく、絵馬にはこの神社のモチーフとなった洩矢 諏訪子、東風谷 早苗の絵を描いて納める方が多くありました。
洩矢神様にお導きを頂きました。
手水舎に行きかけたところを背後に駐車された方から「ご苦労様です。」とお声掛け頂きました。
神社前には新しい社務所と4台程の駐車スペースがあります。
社務所はふだん人が居られず、御朱印やお守りを欲しい人は社務所に貼ってある連絡先に電話をして都合を聞くことになっていましたが、御朱印を書かれる方にお声掛け頂いたのです。✨奇跡✨
御朱印を頂きました。(日にちが一日前になっていましたがご愛嬌です。)ありがとうございました。🙏
御祭神
洩矢神
旧橋原村の産土神明治五年十一月村社となる。
縁起
諏訪大明神画詞 延文元年(一三五六)によれば昔諏訪には先住の国津神の洩矢神がおられた。そこへ建御名方命(諏訪明神)が侵入されようとした。川岸の地で洩矢神は「鉄の輪」を建御名方命は「藤の枝」を持って争ったが洩矢神は命の機威に服した。その時建御名方命は持っておられた藤の枝を投げた処その枝は根づいて繁茂して藤洲羽の森となったのが現在の荒神塚、島神社(三澤区)である。
洩矢神は建御名方命に服属しその最高の職神長官となり建御名方命を助けて諏訪の地の開発につくされた。氏子は洩矢神の御神徳をたたえるために天竜川をはさみ藤洲羽の森の対岸の地に社を建て洩矢神を祀った。これが洩矢神社の始めである。
神裔
洩矢社には一男一女があり女は多満留姫といい建御名方命の第二子出早雄命に嫁し、男は洩屋神といいその子孫は茅野市宮川高部に住み神長官を代々世襲した。
神徳
祈願に対しては真に霊験あらたかで御神徳はふかく厚く諸の祈願を籠むれば霊験は立ちどころに表れ、特に産婦などが底抜けの柄杓を献納し祈願すれば安産間違いなしといわれている。
地域に伝わる諏訪明神入諏伝承によると、先住の国津神の洩矢神が諏訪に進入しようとしていた建御名方神(諏訪明神)と対抗して争ったが、戦いに敗れて降服した。建御名方神に仕える者となり、諏訪大社上社の社家守矢氏の始祖となった。
中世に書かれた文献においては諏訪明神と洩矢神が争った場所を守屋山の麓(上社本宮周辺)とされているが、天竜川のほとりを両者の戦場とする異伝は江戸時代の伝承記録に見られる。現在は洩矢神社と三沢区にある藤島神社が二柱の神の陣地の跡と一般的に認識されている。
住宅地から山裾に鎮座しています。古木の社叢に包まれて木漏れ日に日影の風が心地よく、古い石灯篭が古に導いてくれます。
なぜか洩矢神社はゲームの東方projectの聖地として知られている場所らしく、絵馬にはこの神社のモチーフとなった洩矢 諏訪子、東風谷 早苗の絵を描いて納める方が多くありました。
洩矢神様にお導きを頂きました。
手水舎に行きかけたところを背後に駐車された方から「ご苦労様です。」とお声掛け頂きました。
神社前には新しい社務所と4台程の駐車スペースがあります。
社務所はふだん人が居られず、御朱印やお守りを欲しい人は社務所に貼ってある連絡先に電話をして都合を聞くことになっていましたが、御朱印を書かれる方にお声掛け頂いたのです。✨奇跡✨
御朱印を頂きました。(日にちが一日前になっていましたがご愛嬌です。)ありがとうございました。🙏
御祭神
洩矢神
旧橋原村の産土神明治五年十一月村社となる。
縁起
諏訪大明神画詞 延文元年(一三五六)によれば昔諏訪には先住の国津神の洩矢神がおられた。そこへ建御名方命(諏訪明神)が侵入されようとした。川岸の地で洩矢神は「鉄の輪」を建御名方命は「藤の枝」を持って争ったが洩矢神は命の機威に服した。その時建御名方命は持っておられた藤の枝を投げた処その枝は根づいて繁茂して藤洲羽の森となったのが現在の荒神塚、島神社(三澤区)である。
洩矢神は建御名方命に服属しその最高の職神長官となり建御名方命を助けて諏訪の地の開発につくされた。氏子は洩矢神の御神徳をたたえるために天竜川をはさみ藤洲羽の森の対岸の地に社を建て洩矢神を祀った。これが洩矢神社の始めである。
神裔
洩矢社には一男一女があり女は多満留姫といい建御名方命の第二子出早雄命に嫁し、男は洩屋神といいその子孫は茅野市宮川高部に住み神長官を代々世襲した。
神徳
祈願に対しては真に霊験あらたかで御神徳はふかく厚く諸の祈願を籠むれば霊験は立ちどころに表れ、特に産婦などが底抜けの柄杓を献納し祈願すれば安産間違いなしといわれている。
地域に伝わる諏訪明神入諏伝承によると、先住の国津神の洩矢神が諏訪に進入しようとしていた建御名方神(諏訪明神)と対抗して争ったが、戦いに敗れて降服した。建御名方神に仕える者となり、諏訪大社上社の社家守矢氏の始祖となった。
中世に書かれた文献においては諏訪明神と洩矢神が争った場所を守屋山の麓(上社本宮周辺)とされているが、天竜川のほとりを両者の戦場とする異伝は江戸時代の伝承記録に見られる。現在は洩矢神社と三沢区にある藤島神社が二柱の神の陣地の跡と一般的に認識されている。

直書き御朱印
1日早い日にちでしたがご愛嬌
1日早い日にちでしたがご愛嬌

御守り

社号標

手水舎

鳥居⛩️

由緒

参道

参道

古そうな石灯篭

古そうな石灯篭

拝殿

拝殿の扁額

拝殿内

摂社
無記名でわからず
無記名でわからず

御柱

摂社
無記名でわからず
無記名でわからず

古そうな石灯篭

本殿

斜めから拝殿と絵馬置き場

拝殿から振り返り

社務所内で御朱印を書いて頂きました。

社務所内に飾られた五箇條ノ御誓文
すてき
投稿者のプロフィール

てけてけ538投稿
令和5年に還暦を迎え、祝いにオートバイ(スーパーカブプロ110)をカスタマイズして購入。訪れた先の食事処、名跡、神社、仏閣を散策し、リターンライダーとして楽しんでいます。この度11月から御朱印巡...もっと読む
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