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瑠璃寺ではいただけません
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瑠璃寺のお参りの記録(1回目)
長野県下市田駅

投稿日:2023年11月03日(金)
参拝:2023年10月吉日
🌼瑠璃寺(.るりじ)に参拝させて頂きました🙏🌸当寺院は、長野県下伊那郡高森町にある天台宗の寺院で山号を大嶋山、院号を医王院と称する。平安時代の天永3年(1112年)比叡山竹林院の観誉僧都が創建と伝わる。本尊は薬師如来です。🌺平安時代の天永3年(1112年)比叡山竹林院の観誉僧都が東国教化のため、この地に来て、仁王山の間ノ洞の樹間に出現した薬師如来に感動したのが創建の始まりと伝わり、創建当時の寺地は、現在堂所と呼ばれ、現寺地より約2㎞大島川の上流にあります。☘️堂所より更に上流には不動明王を勧請し命名した不動滝がある。当時は参詣の信者が跡を絶たなかったと伝わっています。🍁本尊薬師如来像と両脇侍の日光菩薩像・月光菩薩像(がっこうぼさつぞう)は開基以来秘仏として安置され、平安時代後期の作で、昭和9年(1934年)国の重要文化財に指定されています。☘️観誉僧都の寂後数十年、無住の時があり、元暦元年(1184年)比叡山より宝乗上人が来住し、荒廃した伽藍、谷深く、道険しい場所より村里に近い、現在地で再建復興を計っています。
🌼文治2年(1186年)堂塔、伽藍を造営する。鎌倉時代には将軍源頼朝の外護により、寺院の規模は一層強固になる。建久8年(1197年)鎌倉幕府の祈願所に選定され、桜苗を寄進されました。🌸戦国時代永禄・元亀の間、叡山東塔正覚院の重盛僧正が、当瑠璃寺の住職を兼帯し武田氏、上杉氏の祈願所として寺領を安堵されました。☘️天正10年(1582年)織田信長の伊那郡侵入に当たり、兵火により堂塔は焼失したが、時の住職栄運法印は本尊薬師三尊像等を、奥之院堂所(創建時の場所)へ避難させました。🌺慶長6年(1601年)徳川家康配下の伊那郡代官朝日受永より、朱印地25石を寄進されました。同11年(1606年)飯田城主小笠原秀政の外護を得て、避難場所に堂塔を建築再建しその後、寛永元年(1624年)第48世信応法印の時、再度現在地に移転しています。🍁江戸幕府の基礎も確立し平穏に向かう中で、村里に近い現在地に再移転したと推定されます。

🌷🌷隠れ家的なお店の週ランチのお店‼️
 " 旬彩ダイニング 柿の樹 " 国道からちょっと入った場所にあるお店。市田駅のすぐ裏ですが、前を通らないとお店があることも気づかないかかも⁉︎🌷🌷

👣所在地 : 長野県下伊那郡高森町大島山812
瑠璃寺(長野県)
 週ランチ ばらちらし御膳
   " 旬彩ダイニング 柿の樹 "
瑠璃寺(長野県)
 " 御朱印 " 瑠璃寺
瑠璃寺(長野県)
 瑠璃寺 本堂(薬師堂)
来迎柱など室町の建築様式を残し、向拝の木鼻(唐獅子・象)、篭作りの手挟みなど18世紀前期の技法が先取りされるなどの特徴がある。
瑠璃寺(長野県)
 " 本堂薬師堂 " 寛文12年(1672年)飯田の田辺太左衛門尉為長請負、元文4年(1739年)大風の為破損補修。
瑠璃寺(長野県)
 お地蔵さん
瑠璃寺(長野県)
 " 山 門 ". 瑠璃寺
瑠璃寺(長野県)
 境 内
瑠璃寺(長野県)
瑠璃寺(長野県)
瑠璃寺(長野県)
瑠璃寺(長野県)
 " 本 尊 薬師瑠璃光如来 "
脇侍の日光・月光菩薩を含む三尊像が重要文化財に指定されている。
瑠璃寺(長野県)
 " 薬師猫神様 " 蚕をねずみ🐭から守ってくれる猫は「養蚕の神様」として祀られていました。重要文化財に指定されています。
瑠璃寺(長野県)
" 旬彩ダイニング 柿の樹 "
国道からちょっと入った場所にあるお店。
瑠璃寺(長野県)
四日市風トンテキ " 旬彩ダイニング 柿の樹 "

すてき

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