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楽しみ方薬王寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年09月24日(水) 14時04分00秒
参拝:2025年9月吉日
長野県(中信、南信地区)寺院巡りの7寺目は、6寺目の松本市から南へ行った上伊那郡辰野町に在る桑澤山 瑠璃光院 薬王寺です。
高野山真言宗で、本尊は薬師如来。
この本尊・薬師如来坐像とお前立ち薬師如来坐像は両像共に県宝です。
本尊は秘仏で特定の開帳日はありませんが、拝観依頼すれば拝する事が出来ます。
手順は辰野町教育委員会に連絡して拝観申請書を頂き、必要事項を記入して提出し、拝観希望日が住職と都合が合えば拝観許可証が発行されます。当日その拝観許可証と供養料(要は拝観料)を持参するという結構手間暇が掛かります。
607年に桑沢山の中腹の堂平に創建。1192年に源頼朝の祈願により山麓に移転(薬王寺の元となる東光寺)。1676年に高遠城主の鳥居左京亮により現在地に移転し、桑澤山 瑠璃光院 薬王寺に寺号を改めたとの事です。
また、現在、本尊を安置してある収蔵庫は、元・伊那富尋常高等小学校の奉安殿を移築したものです。
中央道・伊北ICから西へ約2kmの所にあります。山門は無く、寺号柱の右側に駐車させて頂きました。(辰野町教育委員会に確認済み)
鬱蒼とした木立の中の参道を進みます。左側の鐘楼を過ぎて少しだけ石段を上がると本堂です。堂内に灯りが点いていますのでご住職がいらっしゃると思います。右壁面の戸からご挨拶。生憎、ご住職は不在で、尼僧さん(副住職?)に対応頂きました。先ずは拝観許可証と供養料をお渡しました。本尊・薬師如来坐像(県宝)は本堂内ではなく収蔵庫に安置してあり、収蔵庫には灯りが無いため周りが暗くなる前にと収蔵庫に案内頂きました。収蔵庫は奉安殿という建物で、戦前に天皇・皇后の写真と教育勅語を納めていた建物で戦後に移築したものとの事。(奉安殿は知りませんでした。勉強になります。)
扉を開けて頂くと割と窮屈そうに薬師如来坐像が収まっています。高さ約85cm、寄木造、彫眼。平安時代後期の穏やかなお顔・体つき、バランスが良く、見ているだけで安心出来ます。
本堂に戻って内陣を拝観です。中尊(中央の尊像)はお前立ち薬師如来坐像。高さ約108cm、寄木造、彫眼。秘仏本尊の薬師如来坐像より一回り以上大きく感じ(高さの差は約23cm)、目・鼻・口が力強く、一方で体躯はあっさりしている。そのせいもあって体躯に対して頭部が大きく、特徴的な感じです。製作時期は本尊と同じく平安時代後期との事でかなり像様が違います。面白いですね。脇侍は文殊菩薩坐像と普賢菩薩坐像、その奥に2躯ずつの四天王像です。ん?ちょっと待てよ。薬師如来の脇侍は一般的に日光・月光菩薩だけど、こちらは文殊菩薩と普賢菩薩。文殊菩薩と普賢菩薩は一般的に釈迦如来の脇侍。釈迦如来像を亡失してしまったのか、それとも釈迦如来像を薬師如来像に変更したのかな(左手首から先を変えればいいから)? 今となってはわかりませんが。因みに文殊菩薩と普賢菩薩の製作時期も平安時代後期なんです。後世の厚化粧(彩色)により本来の姿がわかりませんが、剥がしてみると成程と思うかもしれません。
左右の脇壇には十二神将像、不動明王像、弘法大師、など多数の仏像が祀られていました。
最後に庫裏にて御朱印(ご住職不在につき書置き)を頂き、失礼する事にしました。
来た道を戻り、中央道・伊北ICから帰路に着きました。
高野山真言宗で、本尊は薬師如来。
この本尊・薬師如来坐像とお前立ち薬師如来坐像は両像共に県宝です。
本尊は秘仏で特定の開帳日はありませんが、拝観依頼すれば拝する事が出来ます。
手順は辰野町教育委員会に連絡して拝観申請書を頂き、必要事項を記入して提出し、拝観希望日が住職と都合が合えば拝観許可証が発行されます。当日その拝観許可証と供養料(要は拝観料)を持参するという結構手間暇が掛かります。
607年に桑沢山の中腹の堂平に創建。1192年に源頼朝の祈願により山麓に移転(薬王寺の元となる東光寺)。1676年に高遠城主の鳥居左京亮により現在地に移転し、桑澤山 瑠璃光院 薬王寺に寺号を改めたとの事です。
また、現在、本尊を安置してある収蔵庫は、元・伊那富尋常高等小学校の奉安殿を移築したものです。
中央道・伊北ICから西へ約2kmの所にあります。山門は無く、寺号柱の右側に駐車させて頂きました。(辰野町教育委員会に確認済み)
鬱蒼とした木立の中の参道を進みます。左側の鐘楼を過ぎて少しだけ石段を上がると本堂です。堂内に灯りが点いていますのでご住職がいらっしゃると思います。右壁面の戸からご挨拶。生憎、ご住職は不在で、尼僧さん(副住職?)に対応頂きました。先ずは拝観許可証と供養料をお渡しました。本尊・薬師如来坐像(県宝)は本堂内ではなく収蔵庫に安置してあり、収蔵庫には灯りが無いため周りが暗くなる前にと収蔵庫に案内頂きました。収蔵庫は奉安殿という建物で、戦前に天皇・皇后の写真と教育勅語を納めていた建物で戦後に移築したものとの事。(奉安殿は知りませんでした。勉強になります。)
扉を開けて頂くと割と窮屈そうに薬師如来坐像が収まっています。高さ約85cm、寄木造、彫眼。平安時代後期の穏やかなお顔・体つき、バランスが良く、見ているだけで安心出来ます。
本堂に戻って内陣を拝観です。中尊(中央の尊像)はお前立ち薬師如来坐像。高さ約108cm、寄木造、彫眼。秘仏本尊の薬師如来坐像より一回り以上大きく感じ(高さの差は約23cm)、目・鼻・口が力強く、一方で体躯はあっさりしている。そのせいもあって体躯に対して頭部が大きく、特徴的な感じです。製作時期は本尊と同じく平安時代後期との事でかなり像様が違います。面白いですね。脇侍は文殊菩薩坐像と普賢菩薩坐像、その奥に2躯ずつの四天王像です。ん?ちょっと待てよ。薬師如来の脇侍は一般的に日光・月光菩薩だけど、こちらは文殊菩薩と普賢菩薩。文殊菩薩と普賢菩薩は一般的に釈迦如来の脇侍。釈迦如来像を亡失してしまったのか、それとも釈迦如来像を薬師如来像に変更したのかな(左手首から先を変えればいいから)? 今となってはわかりませんが。因みに文殊菩薩と普賢菩薩の製作時期も平安時代後期なんです。後世の厚化粧(彩色)により本来の姿がわかりませんが、剥がしてみると成程と思うかもしれません。
左右の脇壇には十二神将像、不動明王像、弘法大師、など多数の仏像が祀られていました。
最後に庫裏にて御朱印(ご住職不在につき書置き)を頂き、失礼する事にしました。
来た道を戻り、中央道・伊北ICから帰路に着きました。

御朱印

寺号柱
この右側に2、3台駐車可
この右側に2、3台駐車可

鐘楼

本堂


内陣

お前立ち薬師如来坐像(県宝)




右脇壇

文殊菩薩像

文殊菩薩像の後に四天王像(2躯)

不動明王像
副住職がお顔が好きと仰っていた
副住職がお顔が好きと仰っていた

普賢菩薩像

普賢菩薩の後に四天王像(2躯)

左脇壇

奉安殿
戦前に天皇・皇后の写真と教育勅語を納めていた建物。戦後撤去指示が出て昭和26年に本尊の収蔵庫として使用するため移築した。
戦前に天皇・皇后の写真と教育勅語を納めていた建物。戦後撤去指示が出て昭和26年に本尊の収蔵庫として使用するため移築した。

秘仏本尊・薬師如来坐像(県宝)
すてき
投稿者のプロフィール

nomuten1394投稿
仏像の造形美に惹かれて、主に寺院に参拝しております。 御朱印収集はしておりませんが、あれば頂戴します。但し、お洒落な、手の込んだ限定御朱印などは余り頂戴しませんので悪しからずです。(限定御朱印は...もっと読む
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