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楽しみ方箕輪南宮神社(春宮)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年10月05日(日) 10時10分37秒
参拝:2025年10月吉日
一宮神社から奉遷された箕輪南宮神社は近世箕輪郷三十三ヶ村の総社です。
境内にはとてつもなく大きな欅の木が何本もあります。今まで見た中で一番大きなこの御神木は千年くらいの樹齢でしょうか。
箕輪町有形文化財として掲示板で紹介された本殿は囲われて見えませんが龍🐉の見事な彫刻の写真がありました。諏訪大社春宮の棟梁と同一人物のようです。
社殿の神紋は「諏訪梶」と「明神梶」が混在していますが、諏訪神社であることは間違いありません。基本は下社系のようで、「春宮」とも呼ばれるこの南宮神社は、天竜川の対岸にある三日町の南宮神社秋宮の間で遷座が行われます。
御祭神
建御名方命、八坂刀売命
はじめ一の宮に創立されたが、文安2年(1445年)に箕輪城主箕輪左衛門尉源義雄が城の鎮護・領内の安穏のために現在地に奉遷された。江戸時代のはじめ頃は「箕輪総祠南宮大明神」と称しており、御作田大明神と言った事もあったが、享保15年(1730年)正一位南宮大明神となる。明治5年村社、明治28年郷社、明治40年に箕輪南宮神社と改称し現在に至る。
例祭には御鹿(おしし)奉納神事など、御鹿75頭を奉賛した事や、その後幼児が鹿の被り物を被る鹿踊り、秋宮と南宮神社(春宮)を御神体を神輿に遷し半年ごとに遷座する渡御の神事など諏訪大社の祭礼に酷似するものもみられた。
(SNSより)
昼食は箕輪町の「ハシャブ釜めし店」でハンバーグカレーを頂きました。連れはカツカレー😋
境内にはとてつもなく大きな欅の木が何本もあります。今まで見た中で一番大きなこの御神木は千年くらいの樹齢でしょうか。
箕輪町有形文化財として掲示板で紹介された本殿は囲われて見えませんが龍🐉の見事な彫刻の写真がありました。諏訪大社春宮の棟梁と同一人物のようです。
社殿の神紋は「諏訪梶」と「明神梶」が混在していますが、諏訪神社であることは間違いありません。基本は下社系のようで、「春宮」とも呼ばれるこの南宮神社は、天竜川の対岸にある三日町の南宮神社秋宮の間で遷座が行われます。
御祭神
建御名方命、八坂刀売命
はじめ一の宮に創立されたが、文安2年(1445年)に箕輪城主箕輪左衛門尉源義雄が城の鎮護・領内の安穏のために現在地に奉遷された。江戸時代のはじめ頃は「箕輪総祠南宮大明神」と称しており、御作田大明神と言った事もあったが、享保15年(1730年)正一位南宮大明神となる。明治5年村社、明治28年郷社、明治40年に箕輪南宮神社と改称し現在に至る。
例祭には御鹿(おしし)奉納神事など、御鹿75頭を奉賛した事や、その後幼児が鹿の被り物を被る鹿踊り、秋宮と南宮神社(春宮)を御神体を神輿に遷し半年ごとに遷座する渡御の神事など諏訪大社の祭礼に酷似するものもみられた。
(SNSより)
昼食は箕輪町の「ハシャブ釜めし店」でハンバーグカレーを頂きました。連れはカツカレー😋

鳥居⛩️

鳥居の扁額

狛犬さん

狛犬さん

忠魂碑

境内

手水舎

手水舎

手水舎の龍

神橋

神橋から神池

神池裏側から手水舎と神橋

灯籠

稲荷社

石の扁額

社務所

木彫りの看板

境内

拝殿前の灯籠

天保十五年(1844年)奉納

拝殿斜めから

本殿の由緒
諏訪大社春宮の棟梁が本殿製作
諏訪大社春宮の棟梁が本殿製作

拝殿内の狛犬

拝殿内の狛犬

拝殿内

拝殿

本殿

灯籠と神楽殿

神楽殿

白山神社

境内社

境内社

金山社

たくさんの祠安置

舞台倉庫の神紋 足五本

南側鳥居⛩️と境内

とても大きな欅の御神木
先輩に比較のため立って頂く
先輩に比較のため立って頂く

宝物庫

宝物庫の神紋 足四本

箕輪町「ハシャブ釜めし店」でハンバーグカレー😋

仲間はカツカレー
すてき
投稿者のプロフィール

てけてけ542投稿
令和5年に還暦を迎え、祝いにオートバイ(スーパーカブプロ110)をカスタマイズして購入。訪れた先の食事処、名跡、神社、仏閣を散策し、リターンライダーとして楽しんでいます。この度11月から御朱印巡...もっと読む
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