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健命寺ではいただけません
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健命寺のお参りの記録(1回目)
長野県上境駅

投稿日:2023年09月12日(火)
参拝:2023年9月吉日
野沢温泉村というくらいだから、無人の小さな寺を想像していた。
イヤイヤ、行くまでわからないものだ。
歴史ある素晴らしい寺であった。

こちらのお寺は野沢菜発祥の地と言われている。

野沢菜の原種を生産する野沢温泉村健命寺の口伝によると、宝暦年間(1751~1763)に、当時の8代目住職の晃天園瑞和尚が京都遊学の折に、京都・大阪で名産の天王寺蕪の種を持ち帰り栽培をしたことがはじまりだとされています。その種を寺の庫裡裏の畑にまいたところ、蕪が小さく葉柄が大きい天王寺蕪とは違ったものが育ちました。
野沢温泉は標高600メートル近く、積雪量の多い高冷地です。温暖な西国育ちの天王寺蕪は、ここですっかり突然変異をおこし、野沢菜が誕生したわけです。

大湯前の坂を200メートルほど登った山腹に建つ曹洞宗の古刹。天正12年(1584)僧南室正舜(そうなんしつせいしゅん)の開基創建といわれ、本尊は伝聖徳太子作の薬師如来像。傑湯山とも号します。境内には本堂のほか山門、薬師堂、庫裏、鐘桜などが立ち並び、凛とした空間をつくっています。このうち本堂は重厚な木組みの大建築で、正面向拝の彫刻は後藤政綱の手になるもの。二層秀麗は薬師堂にまつられた薬師瑠璃光如来は上杉謙信の陣中守り本尊であったと伝わっています。 さて、この健命寺は野沢菜発祥の地として有名です。それは、当寺八代住職晃天園瑞が宝暦年間(1751~1763)に京都遊学した折、天王寺蕪の種を買い求めて帰り、これを蒔いたところ葉と茎が異常に伸びて野沢菜に変異したのです。今でも健命寺産の原種は江戸時代の農耕方法で栽培されており、山門前には「野沢菜発祥の地碑」「園瑞彰徳碑」が並立しています。(野沢温泉観光案内より)


実は、小さな村の寺だから家族が固定資産税や住民税やらを払わずに済む家だろうという先入観があった。
田舎のお寺は殆どがそうであるから。
本当にその点はお詫びしたい。
こちらは、家族の住む家という住居というものではない。本堂、境内、素晴らしい。僧の寮まであるのだ。

薬王山という山号から連想されるように、本尊は薬師如来だ。
入口には薬師堂がある。
温泉の守護仏である薬師如来をまつる堂。 古くは大湯の脇にありましたが、寛永年間に飯山藩主松平遠江守の別荘がその地に建てられることになり、健命寺横の現在の地に移りました。往事の堂は昭和7年に焼け、諸仏像も灰となりましたが、昭和28年11月8日に再建され、あわせて本尊薬師如来をはじめ脇侍、十二神将像が安置されました。 これらの諸像の作者は昭和の仏像彫刻の第一人者であり、日本芸術院会員であった故大内青圃氏です。 本堂横には古い念仏碑も置かれています。(野沢温泉観光案内より)

足腰が弱らない限り、又来たいと思う。
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
僧侶たちの寮まである。
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
健命寺(長野県)
入口に薬師堂がある。

すてき

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