たけみずわけじんじゃ
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武水別神社ではいただけません
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武水別神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年04月11日(木)
参拝:2024年4月吉日
千曲市八幡の地に大きな境内の中に立派な本殿、拝殿、御供所、杜務所、総代会館などの建物の他に数々の境内社が有り余るほどあり、初めて見る名の境内社もいくつもありました。中でも大きな本殿の彫刻は見事と言うしかありません。これだけ大きな建物をいくつも持つ神社⛩️は初めてです。大社であった歴史を感じます。
境内には八幡宮のおごくとしてうずらもちのお店までありました。
御祭神
主祭神
武水別大神
(たけみずわけのおおかみ)
相殿神
誉田別命
(ほんだわけのみこと)
相殿神
息長足比売命
(おきながたらしひめのみこと)
相殿神
比咩大神
(ひめおおかみ)
御由緒
当社の創建に関しては、その年代は明らかではありませんが、社伝によれば、武水別大神は人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四~一五六)の御代に御鎮斎と伝えられております。
その後安和年間(九六八~九七〇)に京都の石清水八幡宮より、誉田別命・息長足比売命・比咩大神が勧請され、相殿に奉斎されました。
当社は延喜式(平安初期の年中儀式や制度などを記した書物)に名神大社として記載されており、三代実録(延喜元年に編纂された歴史書)によると貞観二年(八六〇)に従五位下、同八年に従二位の神階を受け、同九年に官社に列したと有り、上古よりの大社であったことを窺い知ることが出来ます。
戦国時代から江戸時代にかけてはこの地方随一の八幡宮として諸武将の尊崇が篤く、慶安元年(一六四八)には幕府から朱印地二百石を与えられました。明治時代に入ると郷社に列せられ、明治四十一年に県社に昇格、現在は神社本庁別表神社に指定されております。
御神徳
主祭神の武水別大神は、国の大本である農事を始め、人の日常生活に極めて大事な水のこと総てに亘ってお守り下さる神であります。長野県下最大の穀倉地帯である善光寺平の五穀豊穣と、脇を流れる千曲川の氾濫防止を祈って祀られたものと思われます。
誉田別命は八幡大神と称えられる応神天皇のことで、古来文武両面のお徳をもって世に崇められ、国家鎮護・国威宣揚のために、農地を開拓し、学問を勧め、当時の中国大陸から学者や職工を招いて民業を指導し、国力の充実発展と人間生活の向上進展に尽くされた大徳のある神であります。
息長足比売命は応神天皇の御母君、神功皇后のことで、その昔仲哀天皇の御意志を継いで皇軍を三韓(古代朝鮮北東部、新羅、百済、高句麗)までも進められ、任那(古代朝鮮南部)との親交を図り、御稜威を遠く海外にまでのべられた神であります。
比咩大神は前の神々と御神縁が深く、御婦徳・御威徳共に兼ね備えた「田心姫」「湍津姫」「市杵嶋姫」の三女神の総称であり、国家鎮護、航海・交通安全の守護神として仰がれております。
(ホームページより)
境内には八幡宮のおごくとしてうずらもちのお店までありました。
御祭神
主祭神
武水別大神
(たけみずわけのおおかみ)
相殿神
誉田別命
(ほんだわけのみこと)
相殿神
息長足比売命
(おきながたらしひめのみこと)
相殿神
比咩大神
(ひめおおかみ)
御由緒
当社の創建に関しては、その年代は明らかではありませんが、社伝によれば、武水別大神は人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四~一五六)の御代に御鎮斎と伝えられております。
その後安和年間(九六八~九七〇)に京都の石清水八幡宮より、誉田別命・息長足比売命・比咩大神が勧請され、相殿に奉斎されました。
当社は延喜式(平安初期の年中儀式や制度などを記した書物)に名神大社として記載されており、三代実録(延喜元年に編纂された歴史書)によると貞観二年(八六〇)に従五位下、同八年に従二位の神階を受け、同九年に官社に列したと有り、上古よりの大社であったことを窺い知ることが出来ます。
戦国時代から江戸時代にかけてはこの地方随一の八幡宮として諸武将の尊崇が篤く、慶安元年(一六四八)には幕府から朱印地二百石を与えられました。明治時代に入ると郷社に列せられ、明治四十一年に県社に昇格、現在は神社本庁別表神社に指定されております。
御神徳
主祭神の武水別大神は、国の大本である農事を始め、人の日常生活に極めて大事な水のこと総てに亘ってお守り下さる神であります。長野県下最大の穀倉地帯である善光寺平の五穀豊穣と、脇を流れる千曲川の氾濫防止を祈って祀られたものと思われます。
誉田別命は八幡大神と称えられる応神天皇のことで、古来文武両面のお徳をもって世に崇められ、国家鎮護・国威宣揚のために、農地を開拓し、学問を勧め、当時の中国大陸から学者や職工を招いて民業を指導し、国力の充実発展と人間生活の向上進展に尽くされた大徳のある神であります。
息長足比売命は応神天皇の御母君、神功皇后のことで、その昔仲哀天皇の御意志を継いで皇軍を三韓(古代朝鮮北東部、新羅、百済、高句麗)までも進められ、任那(古代朝鮮南部)との親交を図り、御稜威を遠く海外にまでのべられた神であります。
比咩大神は前の神々と御神縁が深く、御婦徳・御威徳共に兼ね備えた「田心姫」「湍津姫」「市杵嶋姫」の三女神の総称であり、国家鎮護、航海・交通安全の守護神として仰がれております。
(ホームページより)
すてき
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