なかむらじんじゃ
中村神社のお参りの記録一覧
松代五社の四つ目を制覇。
田舎の鎮守様のように見えますが何気にここも延喜式内社だった。ホント多いなこの辺り・・・
まぁ、こことか前日の頤気神社みたいに式内社でも無人社も結構ありますし、私的には普段ほとんど延喜式なんて特別視してないのですが(^^;
現地に行ってみて、あぁここ式内社だったのかと気付く程度w
小学校に隣接して立つ神社で、ドラえもんに出てくる学校の裏山的雰囲気が残ってていいです(平地ですがw)
もっとも今の子はあまり神社とかじゃ遊ばないかな。
まだ早い時間だったせいか、空気も澄んでてなかなか気持ちいい神社でした。
ここも式内社・・・どんだけあるんだこの辺?(゜゜;)
鳥居
神社の前は小学校で校庭と隣接してます
もう町じゃ見られないのどかな光景
境内
左側(西)に境内社、社務所、神庫などが並んでます
右側は何もなく、境内の北東の角に続く裏参道のみ
左一番手前の境内社
社名はなく祭神
次は立派な鳥居付きの摂社群を拝もうとしましたが・・・ん?
3番目の境内社
左上の板にかろうじて「事代主」と書いてあるように見えるので、恵比寿様の西宮社かも
なんかデジャヴを感じると思ったら、屋根の形や社殿の構造が昨日行った柴神社とソックリ!?Σ( ゚Д゚)
社格から考えて柴神社の方がこちらを真似たものかと思いますが・・・それとも何処かにもっと大元の神社があるのかしら?('_'?)
祭神、丁寧に勧請元まで書いてある
アメノコヤネは春日大社ではなく東大阪市の枚岡神社から勧請(こちらの方が古いらしい)
事代主の勧請先の義保神社というのが出てこなかったのですが、これは松江市の美保神社のようです
ここも前が広い舞台状
象山神社で受印済みですが、書き置きのストックはありました
【信濃國 式内社巡り】
中村神社(なかむら~)は、長野県長野市松代町西条字中村にある神社。式内社で、旧社格は村社。祭神は天児屋根命、大國主命、健御名方富命、素戔嗚命、事代主命。
創建は不詳。平安時代の927年に編纂さ入れた『延喜式神名帳』に記載のある「信濃國 埴科郡 中村神社 小」に比定されている。古くは「大國大明神」と称し、「大宮」とも呼ばれていた。戦国時代の永禄年間(1558年~1570年)の兵火で社殿と古記録を焼失、社殿は1569年に再建された。
当社は、JR信越本線・篠ノ井駅の東南東7kmの、山への入口のような緩やかな斜面、住宅街の端にある。南側に小学校、西側にその校庭があるので、昔は当社の境内だったと思われる。当社境内の特徴は、何と言っても樹木の多さ。樹齢数百年級の古木が立っていて、境内は天気が良い日も昼なお暗い状態。しかも、この古木、善光寺の御開帳時の回向柱に、これまでも何度も使われている立派な古木(少なくとも2003年、2015年はここで伐採されたみたい)。この事実を知っただけでもわくわくした。
今回は、信濃國の式内社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分たち以外には参拝者は誰もいなかった(隣の校庭には少年サッカーの子供と保護者が大勢いた)。
境内東側の公道から、境内南端の入口に向かう。特に看板等はないので、神社に関心がないと地元の人でも気付かないかも。この道の左側は小学校校舎、突き当りは小学校の校庭。
境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。
自分が知る限りで、もっとも樹木密度が高い境内。どの木も樹齢百年超に見える。さすが善光寺御開帳時の回向柱の産出場所といった感じ。(o^―^o)
参道左側の<手水盤>。
参道正面を望む。狛犬の位置が高い。
参道左側の<狛犬>。割と新しい。
参道右側の<狛犬>。
<拝殿>全景。この拝殿は壁や扉のない、吹きさらしの形式。賽銭箱の横に、書置きの御朱印が置いてある。
<拝殿>正面。奥行きが深い。祭祀はここでやるのかな。
斜めから<社殿>全景。藁葺屋根風銅板葺の屋根も特徴的。パッと見、宇宙戦艦みたいでカッコいいかも。(^_^;)
拝殿後ろの<本殿>。拝殿とは渡り廊下で繋がってるむき出しタイプ。一間社流造かな。石垣が立派。
ここから社殿左側を奥から入口に向かって順に見て廻る。まず本殿の左側にある建物。
社殿左側、拝殿の左側にある建物。無人だけど<社務所>かな。
参道左側の<神輿庫>。中を覗くと神輿が一基収納されているが、その奥に3つの木製小社が祀られていた。
入口近くの参道左側にある境内社の<鳥居>。奥に石製小祠が10社ほど並んでいる。
その後ろ、小学校の校庭では子供たちのサッカー大会が開かれていた。(^▽^)/
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