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明徳寺の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
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御朱印帳 | - | ||
電話番号 | 026-278-8621 |
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皆神山を充分に堪能して下山。
皆神山付近から、初日に探索した上田市の真田郷に通じる長野真田線という県道が通ってまして、この道を少し南下したところにこのお寺がありました。
調べてみたら武田家の重鎮 高坂弾正昌信の墓所があるお寺とのこと。
さらにもう1人、意外な人物のお墓が・・・
陸軍大将 栗林忠道
え!あの硫黄島からの手紙の!?Σ(; ゚Д゚)
これは絶対に墓参せねば!ということでお寺にハンドルを切りました。
映画に登場する歴史上の人物は大抵美化されてますが、調べてみたらこの人は渡辺謙さんが演じたまんま、いやそれ以上の人格者だったので驚いた( ; ゚Д゚)
歴史にifはないですが、この方や石碑で一緒に表敬されてる今井武夫少将のような人がもっと軍中枢にいたら日本は負けなかった、とまでは言わないですが、あそこまで悲惨な状態になる前に終戦できたのでは?と思いましたね。
本土決戦・一億総玉砕を想定して作られた象山地下壕を見た直後だけに一層感慨深いものがありました(-_-)
山裾の小学校の裏のやや目立たない所にあるお寺なのですが、ご覧のようにかなり絢爛豪華(゜゜;)
歴史上の高名な武人の墓所が2つもあり、特に栗林大将に対していろいろな方面からの寄進があるのではないかと思います。
一方でまったく対称的な、酒呑弥勒尊というユーモラスな民話も伝わっていたり、ヒキガエル産卵池があったり、なかなか味のあるお寺でしたw
この酒呑弥勒尊、北信濃十三仏というご当地巡礼の一つだったので次は一丁これに挑戦してみるか!(゚∀゚)と思ったのですが、文字通り北信中心の巡礼でこのお寺がほぼ最南端だったためあぁこりゃムリだわ(^^;と断念w
ちなみに午前中行った清水寺の秘仏千手観音もこの北信濃十三仏の一つに入ってました。
「酒飲み弥勒さん」という面白い民話が伝わっており、その弥勒さんの御朱印のようです
駐車場脇に手水舎がありましたが、これがまたスゴい豪華( ; ゚Д゚)
手水からしてお不動さんやら龍やらいろいろ(゜゜;)
もちろん人感センサー搭載で、人が来たときだけ水を吐く仕様
今井武夫少将は栗林大将と長野中学での同窓で主に大陸やフィリピンで活動された方
フィリピンでは辻政信の捕虜処刑命令に抗って捕虜を秘かに解放
日中戦争不拡大派で対中和平工作に従事
この方が対中和平で培った人脈により、ソ連に占領された満州と異なり、中国からの引き上げは比較的スムーズに進んだそうです
高坂弾正公墓所、栗林忠道墓所、酒呑弥勒尊・・・ヒキガエル産卵池!?( ゚д゚)
仁王門も評注も立派
門前の看板にあったヒキガエル産卵池にちなむ俳句
詠み人は松崎鉄之介という横浜出身の俳人
ヒキガエル産卵池は本堂裏あったそうですが今回は見つからず
本堂も非常に大きいです
高坂弾正昌信公墓所
弥勒堂
ここもまた柱とかスゴイな(゜゜;)
酒飲むどころか代金まで踏み倒す弥勒さんw
まぁ56億7千万年も修行してりゃたまには飲みたくもなるよねwww
弥勒堂横にも地蔵や観音など大きめの仏像が点在
次は栗林忠道大将の墓所へ
栗林忠道大将墓所
栗林大将は最後の状況が諸説あって遺体が発見されておらず、正確にはここに遺骨はありません
栗林家では仏壇に硫黄島の石と、文字通り「硫黄島からの手紙」を供えているとのこと
鐘楼と庫裏
こちらも凄い豪華で大きかった( ; ゚Д゚)
1390年に越後国刈羽郡の東福院5世妙徳により開山されました。戦国時代には、甲斐武田氏家臣で信濃更級郡の高坂氏の養子となった海津城代の春日虎綱『高坂昌信』の帰依厚く、1533年に諸堂を修理し重興開祖となる。玉山春洞を招き明徳寺は曹洞宗となります。
1611年松平忠輝により寺領20石を寄進され、1649年には江戸幕府から朱印20石を安堵された。それ以後は歴代松代藩主『真田氏』により保護されました。
本尊 薬師如来。
北信濃十三佛第六番札所です。
立派な山門です。
高坂昌信氏のお墓です。合掌。
大東亜戦争における硫黄島の戦いの指揮官栗林忠道氏のお墓です。 合掌。
ボールペンも頂きました。ありがとうございました^o^
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