いいづなじんじゃさとみや(すめたるほのみことじんじゃ)
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飯縄神社 里宮(皇足穂命神社)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年07月25日(月)
参拝:2022年6月吉日
【信濃國 式内社巡り】
飯縄神社・里宮(いいづな~・さとみや)は、長野県長野市富田にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は保食神。
社伝によると、第15代応神天皇の御代270年ごろ、飯縄山山頂に天神大戸道尊を祀り、飯縄大明神と称したのが始まり。本地を大日如来とし、平安時代の848年に学問行者(戸隠神社奥社を開いた行者)が飯縄山に入山して、この大日如来の尊容を拝したといわれる。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「信濃國 水内郡 白玉足穂命神社」の論社となっており、他の論社としては、皇足穂命神社諏訪社合殿(長野市中条)、皇足穂命神社(長野市信州新町)がある。鎌倉時代の1233年に信濃國荻野の地頭・伊藤兵部太夫豊前守忠綱が飯縄大明神のお告げにより入山し、山頂に飯縄大明神を勧請、その子の盛綱も父に従い入山し荼枳尼天の法を習得、父より飯縄の法(管狐を使う独特の法術)を受け継ぎ、飯縄原始忍法を確立、自らを「千日太夫」と称し、飯縄信仰を全国に広げるとともに、忍法の祖となった。
のち武門の尊崇を受け、室町幕府三代将軍・足利義満は紫金仏の地蔵菩薩像を飯縄山本地仏として寄進、武田信玄はこの里宮を千日太夫の冬季居所として創建し神領を寄進、江戸幕府三代将軍・徳川家光も朱印地100石を寄進するなど、飯縄全盛は全国に伝播し全盛を誇った。飯縄山は山頂より食べられる砂(飯砂)を産し、参籠の行者等はこれを採って食べたことから飯砂山、転じて飯縄山といい、保食神(皇足穂命)の霊徳として、1873年(明治6年)に長野県庁より「皇足穂命神社」の称号を与えられた。(境内案内より。忍法とか、ホントかな…(^_^;))
当社は、長野線・善光寺下駅の北西4kmの小山の南斜面にある。善光寺から戸隠神社への参詣道として伸びる戸隠道にほど近いところにある。境内は至ってシンプルで、坂道と階段の参道を数十m登ると、社殿周りがある台地状の境内がある造り。サイズ的には郷社でも小さい方か。特筆すべきは、社殿前に樹高30m、目通り4.8mの杉の巨木(御神木)が立っていること。
今回は、信濃國の式内論社であることから参拝することに。参拝時は休日の昼過ぎ、参拝者は自分たち以外にはいなかった。
境内南端入口の<社号標>。昔の「戸隠道」に面している。
参道左側にある<手水舎>。
参道左側の<狛犬>。
参道右側の<狛犬>。
参道左側にある<社務所>。通常は無人のようで、御朱印はここから車で20分、宝光社の近くの「越志(おし)旅館」で拝受できるみたい。
参道を進むと<鳥居>。
鳥居の先の、社殿までまっすぐに伸びる階段。
階段を登り切ったところから、<拝殿>全景。
<拝殿>内部。
拝殿右側の境内社。
拝殿後ろの<本殿>。
階段を上がってすぐ右側にある<御神木>。高さ30m、目通り周囲4.82mのスギの木。
拝殿を斜めから。
左横から<社殿>全景。
当社近くから見える、長野市街方向の眺め。とってもきれい。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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