頤氣神社のお参りの記録一覧
川中島古戦場八幡社で教わって詣りました。
長野に来てすぐ立寄った木留神社と同じ感じで、神楽殿のような建物が社殿のようです。
無人だけど、境内社?末社?があって見どころ多い立派な神社でした。
「いけじんじゃ」と読むそうです。
上信越自動車道の長野インターチェンジ近く、昼間行った典厩寺の千曲川を挟んだ対岸辺りにあります。
川中島古戦場八幡社が兼務しており、御朱印を出していただきました。
(他にもいくつか兼務社御朱印を出してもらえるようですが、他は行けそうになかったので今回はここだけ拝受)
実はここも延喜式内社らしい。この辺りどんだけあるんだ式内社(゜゜;)
非常に縦に長い神社で、社格や社殿の大きさを考えると、ここもわりと近年までは宮司常駐だったんじゃないかと・・・
ただし祭祀は絶えておらず、7年毎に長野の神社らしく御柱が立てられるとのこと。 奇しくも今年が御柱祭の年だったそうで社殿前の左右に立てられてるのがそれです。
ちなみに千曲川の対岸、川中島古戦場公園の近くにも、同じ名前の頤気神社があるそうですが、そちらは村社でホトカミには登録されてなかった。(ただし一応そちらもこの神社の式内論社ということになってるらしい)
祭神は東国統治の豊城入彦命の四世孫にあたる荒田別命、通称を頤氣神というそうで、これが社名の由来と思われます。
またここはいろいろな時代の武人に関わりのある神社らしい・・・
創建年代は雄略3年(459年)と伝わる。
まず806年に坂ノ上田村麻呂が別の場所に遷座再建。
次に1181年に木曽義仲が現在の場所に遷座再建
さらに1334年に新田義貞が先勝祈願に訪れ社殿を大修復。
・・・坂ノ上田村麻呂はともかく、木曽義仲とか新田義貞とか一度栄光を手にしたものの滅びてる武将ばかり参拝してるのがちょっと気になりますがw
実際この神社自体も第四次川中島合戦で焼かれたり、千曲川の洪水で流されたり、その後も火事にあったり、何度も消失と再建を繰り返してるらしい(^^;
そんなちょっと御利益に疑問符が付く・・・いやw滅びの美学を感じさせてくれる神社でしたwww
書き置きですが、兼務社朱印は事前に用意してるワケではないようで、頼んだらその場で書き始めた・・・
いや、それなら御朱印帳に直接書いてくれりゃいいのに(^^;
「延喜式内」と彫られてますね
一の鳥居
手水舎
新しめの龍が付いてますが水は出ず
やはりこの辺りで代表的な神社らしく、かなりの数の摂社が合祀されてます
何か特別な摂社なのか、一つだけ柵に囲まれた摂社群がありました
庚申塔群
右手に大きめの境内社
古峯神社
え!まさか栃木の古峯神社なの!?
祭神は日本武尊とのことなので共通はしているが・・・古峯信仰って信州まで伝わってるのか( ; ゚Д゚)
たぶん御神木に接ぎ木したものかと思われますが・・・枯れてるな(^^;
左の民家に通じる門
おそらく旧宮司宅ではないかと
また別の境内社
農産神社
祭神は、保食神、大宜都比賣神、和久産巣日神
ほぼ同じ神話内容のウケモチとオオゲツヒメが両方祀られてるのはちょっと珍しいかも
水神
これが御神木かな?
7年毎に立て替えられる御神柱
拝殿
この神社も前が広い舞台状になってる造り
主宰神は、池生命、健御名方命、事代主命
池生命ってのが頤氣神ですね
左に脇参道
住宅街を通る狭い通路
本殿左側に鳥居
本殿
拝殿から結構離れてる
本殿横にも鳥居
左後ろの角にあった境内社
二宮さん!?( ゚д゚)
たぶんこれは学問の神様で天神社ではないかと・・・
本殿後ろにも無数の摂社群
右側にもやや大きめの祠
祭神不明
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