みわじんじゃ
美和神社のお参りの記録一覧
![サンダー](https://minimized.hotokami.jp/PvZ8QZluJ7vPBhs1QxhzRSMsSmJOIbCfbgv_q9peosc/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20200427-235949_HRbjqAjvAQ.jpg@webp)
善光寺七社の最後の神社です。御祭神は大物主命、相殿神として国業比売神(大物主命の母神)・神部神(神服部神)を祀っています。奈良の大神神社と同様で三輪系の神社ですが由緒は定かではありません。大和三輪出身の三輪時丸が善光寺に参詣しそのまま当地に留まった、このとき大神神社の神体を奉納したので大神神社には神体がない、という伝説が善光寺に残っています。長野電鉄本郷駅の目の前に鎮座してひと際大きな神社です。まだ午前中の早い時間なのでゆっくりと参拝、境内を散策できました。社殿北側の玉垣沿いにおびただしい石祠群、家庭内の祠が持ち込まれたのだろうと思っていました。帰宅して調べると「境内百末社石祠」と云い、全国一宮を祀っているとのこと。数えることはしませんでしたが以前は60程でだんだん増えたみたいです。年末にはこれら一宮の神々に対して祝膳が捧げられる神事が行われます。御朱印はこの後武井神社で戴くことにします。
社号標
三ッ鳥居(三輪鳥居)平成三十年に再建
神社眼の前を長野電鉄が走っています
手水舎
手水鉢
天保八年(1837)奉納の灯籠
灯籠
灯籠
由緒書
天保八年(1837)奉納の灯籠
昭和三年奉納の狛犬
明治三十一年(1898)奉納の社号標
大正十五年(1926)奉納の敷石布設記念碑
天保十一年(1840)奉納の灯籠
社務所新築記念碑
石祠
祇園守紋が刻まれています
社務所
御神木
境内社
御神木
拝殿 寛政五年(1793)建立
本殿
本殿背後から
文化十年(1813)奉納の算額
拝殿前から参道を振り返る
境内社鳥居
鳥居扁額「縁結比乃大神」
境内社
忠魂碑
庚申塔
道祖神
境内社鳥居
鳥居扁額「大麻彦社」
境内社 大青麻彦神社
奉納杖?
昭和十二年(1937)奉納の手水鉢
青麻神社由緒書
石祠群(境内百末社)
記念碑
営繕記念碑
大正十五年(1926)奉納の玉垣
このような注意書きがあるので参拝者は停めていいのかな?
![神祇伯](https://minimized.hotokami.jp/YjsnkO_tdWxe1asYxQwcRCvH7Kc62oyAwDT4LBLw-Zo/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20240207-155241_NekqeU5Xi4.jpg@webp)
信濃国水内郡の式内社です。名前の通り奈良の大神神社を本宮としておりますが分社というわけではなく、三輪氏の一部が信濃国に移住してきた折に祖神さまとして祀ったとされています。逆にそうした由緒であるが故に面白い伝承があるようで…
《鳥居》
大神神社を代表する三輪鳥居です。直接の関連はないとはいえしっかりと本家をリスペクトしていますね。
という大神さんにある三輪鳥居って普通には見られないんですね…
《手水舎》
水は出ていませんでしたが、そんなことより石鉢ィ!なんの石ですかねこれ。
《由緒書き》
大神神社の御祭神である大物主神さまは崇神天皇さまの御代に流行っていた疫病を鎮めたことで有名ですが、まさかの信濃国では疫病を流行らせる側に回っていたようです…一体何に怒ったのでしょうか
《社号碑》
明治の近代社格制度では県社に列しています。
《境内の木》
すごいですねこれ。
《拝殿》
👁チェックポイント‼️
この神社には面白い伝承がありまして、奈良の大神神社は三輪山を御神体としているため本殿がなく、御神体がものとしては存在しないことは有名だと思います。その御神体が信濃に来た三輪氏が持っており、この神社の御神体として安置されているんだとか…なかなかのロマンを感じさせますね!
《拝殿内部》🙏
扁額には信濃国の式内社一覧が書かれています。
《縁結比乃大神》
木の間にある奥の祠のことでしょう。縁結びの神様なのかな?
ちなみに写真左奥に沢山の祠が並んでいますが、この祠群に祝詞をあげる特殊神事"越年祭"というものが執り行われているそうです。
《算学の扁額》
…だめださっぱりだ。
《大青麻彦神社》
宮城の青麻神社からの分社です。
![惣一郎](https://minimized.hotokami.jp/MZYyO8rsMWBK3PKJMQAaNYL3o7IMpCo_-mAyBhir52A/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20220104-044828_ONneG4EPg3.jpg@webp)
【善光寺七社巡り(1/7)】 / 【信濃國 式内社巡り】
美和神社(みわ~)は、長野県長野市三輪にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は大物主命、相殿神は国業比売神(くになりひめ)、神服部神(かみはとり)。善光寺七社の1社。
創建は不詳。『善光寺縁起』には、大和三輪出身の三輪時丸が善光寺に参詣してそのまま当地に留まり、その際、大和國の大神神社の御神体を奉納したので大神神社には御神体がないという伝説が記載されている。国史の初見は平安時代、日本三代実録861年条に相殿神の国業比売神の神階奉授の記載がある。
927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「信濃國 水内郡 美和神社 小」に比定されている。旧称は「三輪神社」であったが、江戸時代中期に吉田家からの許可を受け、現在の「美和神社」に改称した。1793年には現在の社殿が造営された。明治時代に入り、近代社格制度のもと村社に列し、その後県社に昇格した。
当社は、長野線・本郷駅の北西、1本道を隔てた数十mの位置にある。境内の南側は長野線の線路。境内の大きさは、郷社として十分な広さがあって広々している。
当社の特徴は入口の三ツ鳥居(三輪鳥居)と古巨木がすごいこと。特に樹齢について説明書きはないようだが、数百年はくだらない極太の古木が何本もある。このおかげもあって、式内社らしさ、古社らしさが満点。雰囲気が素晴らしい。
今回は、善光寺七社の1社、信濃國の式内社、長野県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外には特に参拝者はいなかった。
※当社は武井神社(長野市長野東町)が兼務しているため、御朱印は武井神社で拝受できる。
境内南端入口全景。入口すぐの「三ツ鳥居(三輪鳥居)」が特徴的。
鳥居もけっこう大きいが、入口右側の巨木が太すぎて、鳥居が小さく見える...(^_^;)
境内の南側は、道を隔ててすぐ長野線の線路。東方には本郷駅が見える。
<社号標>は、入口からだと巨木に隠れて見えないが、三ツ鳥居の右側に立っている。
入口入ってすぐ左側にある<手水舎>。すごく変わった形の<手水盤>。水が流れていないので、使い方すら想像できない...(^_^;)
手水舎の後ろには、めちゃくちゃ背高のっぽの石燈籠(3m近い?)と、古い社号標がある。
参道の両脇の高い位置に<狛犬>が鎮座。
参道左側の<狛犬>。整った風貌。割と新しいのかな。
参道右側の<狛犬>。
参道右側にある<社務所>。無人。長野市街地にある武井神社が兼務。
社務所の北側にある境内社。社名は不明。
参道左側にある巨木たち。写真だと実際に見るよりも太く感じない...(´;ω;`)ウッ…
境内西端に見える石碑と境内社。
<社殿>遠景。古巨木のおかげで、社殿前が木陰になっている。
<拝殿>全景。風格を感じられる大きな造り。
<拝殿>正面。彫刻や彩色はなく簡素な造り。扁額もなし。
拝殿前から振り返った眺め。真っ直ぐな参道と広々とした空間。気持ちが良い。
拝殿の左側に建つ古巨木。その前に鳥居が立っている。
鳥居の扁額には「縁結比乃大神」と書いてある。祠が置いてある古巨木は2本の樹木が結合しているから「縁結びの木」ということかな。これは上手。(o^―^o)
斜めから<社殿>全景。拝殿に横幅があるが、幣殿が長いため、本殿も同時に写し込める。
拝殿後ろの<幣殿>と<本殿>。
本殿の左側(西側)に立つ<忠魂碑>。
境内西端北寄りにずらっと並ぶ石製小社群。これだけの数が並んでいるのも珍しい。
境内西北部にある<大青麻彦神社>。仙台から勧請。
社殿自体は石製小社だが、木造屋根付き、鳥居付きで大事にされている。
大青麻彦神社から見た<縁結びの木>。2本の巨木が結合しているのがよく分かる。(^▽^)/
長野県のおすすめ2選🎌
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