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つのじんじゃ

都農神社
公式宮崎県 都農駅

6:00〜17:00(授与所は8:00〜17:00)

御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

国道10号線から入った駐車場に、約25台ほど停められます

都農神社について

日向国一の宮


神武天皇が日ノ本を平定するため大和国へ向かう際、国造りのお力を貸していただくために大己貴命を祀った神社で、宮崎県を代表する大社です。

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のぶさん
のぶさん
2021年08月03日(火)
1574投稿

都農神社の創建は、神武天皇が大和にて初代の天皇として御即位される6年前(前666)で、神武天皇は宮崎宮を発し御東遷の折、此の地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し御祭神を鎮祭された事と伝えられています。古来、日向国一之宮と称えられ、御祭神はご神徳の高い、大己貴命を奉斎する古社です。

歴代皇室の尊崇篤く、「続日本後紀の承和4年(837)8月1日条では、「日向國に児湯郡都濃神、妻神、宮埼郡の江田神、諸縣郡霧嶋岑神、並て官社を預」とあり、官社に列したことが記されています。同10年(843)には神階の宣授があったと記されています。清和天皇の御代(858-876)の「日本三代実録によると、天安2年(858)に従四位上が授けられました。延長5年(927)には「延喜式神名帳」で日向国に児湯郡都農神社と撰せられ、日向国式内四座のひとつとして日向国に一之宮に列格されました。

御祭神の大己貴命は、多くの妃を娶めとり、その妃等との間に多くの御子をもうけ、その謂から縁結びの神とも子孫繁栄(子授け)の神とも云われる様になりました。また医療の法を定め多くの人々を助けた事により、医療(病気平癒)の神ともされます。また、少彦名命と共に力を合わせて多くの人々と交わり、次々と国造りをされた事により、事業開拓(商売繁盛)の神としての御神徳があるとされています。

旧記では、往古は日向国に第一の大社として境内広濶、社殿壮大であったと伝えられ、第三鳥居からは15~16町(約1.7km)、第二鳥居からは6~7町(700m)の間に亘たって建立た古跡が今なお認められています。天文18年(1549)に都於郡城主伊東義祐が社殿を造営。天正6年(1578)島津、大友両軍の騒乱により、社殿は兵火を罹かり、累世秘蔵の宝物、古文書等烏有に帰しましたが、御神体は尾鈴山麓の神社に避難され難を逃れました。争乱後は長年社殿の再興も無く小さな祠があるのみで、元和元年(1615)には、昔のおもかげなしという見聞者の記録が残されています。元和3年(1617)高鍋藩主の秋月種春再興し、同14年(1628)には知行20石が寄進されました。元禄5年(1692)の高鍋藩主の秋月種政による社殿の再興、安政6年(1859)の篤志家の社殿の寄進による改築がなされましたが、社殿神域とも縮少の傾向にあったとされています。

明治4年(1871)5月15日には県内の他社に先んじて国幣社に列格。昭和9年(1934)には神武天皇御東遷2600記念式典に当たり、記念事業として奉賛会を組織して神門・境内の拡張整備がなされました。社殿の老朽化に伴い平成14年(2003)に「平成の大造営」と銘打って御造営奉賛会が設立され、平成19年(2007)7月7日に現在の社殿が竣成されました。流造の本殿は総ケヤキ造りで、入母屋造の拝殿は総ヒノキ造です。旧拝殿は、現在は神楽殿・神輿殿となっています。

御神幸祭で知られる夏祭は、8月1日、2日に斎行されています。都農神社の夏祭の起源は神功皇后が三韓征伐の折、御船に大三輪の神(大国主命・大己貴命)を祀り、太刀と矛を奉って武運長久を祈念した故事に由来しています。大三輪の神は皇后に「吾和魂にきみたまは皇后の御命と皇后の船を守り、吾が荒魂は船の先鋒となりて軍船を導こう」と教えを示し、神功皇后は謹んで拝受ます。この時、臨月を迎えていた神功皇后は石を腰に挟み「三韓征伐が無事に済み、また日本に帰ってきた時に出産出来ます様に」と祈り、無事の帰還して応神天皇を御出産されました。御神幸祭は、勇壮で盛大なお祭りとして名高く、中でも2日のお宮参りは特に圧巻です。その宮入りに際し奉納ほうのうする「浜下はまくだり石」は、その神功皇后が腰に挟んだ石が元となっており、神功皇后の無事の御帰りを祝し、宮司が浜で集めた石を、平和を願い奉納した事が始まりと伝えられています。また、本殿ほんでんの裏には、「石持神事」の石納所があります。年末年始以外、神門前で「神の石」を受け取り、参拝後に納めることができます。

境内社としては、本殿向かって左手に素盞鳴命を祀る素盞鳴神社。右手には素盞鳴命の后神の櫛稲田姫命の父母神足摩乳命、手摩乳命を祀足摩乳・手摩乳神社が鎮座しています。共に、安政6年(1859)10月に高鍋藩主の秋月種殷により改築。明治10年(1877)12月3日に摂社指定を受け、明治18年(1885)に官費にて改築されました。

足摩乳・手摩乳神社の手前の熊野神社、早玉男命、事解男命、菊理比売命を祀っています。都農神社の平成19年(2007)までの旧本殿をお宮としています。

境内の東側には、五穀豊穣・商売繁盛・殖産振興などの御神徳のある宇加之御魂命を祀る稲荷神社。防火(火伏せ)・防災などの御神徳のある火産霊命を祀る愛宕神社が鎮座しています。

境外末社として、北北西1.2kmほどに元宮とされている鎮座ちんざしています。

また、境内には御祭神の大己貴命に纏まつわる彫刻などが祀まつられています。

「御神象」は、都農神社の御神木である夫婦楠の木の俣から生れ出でた神象です。日本書紀によると、大己貴命は兄の八十神等に攻めやられ、危うく命を落としそうになったとき、母神である櫛名田比売命は大己貴命の事を案じて「木の俣また」から逃がしたと記されています。この事から、この神象は「大己貴命の化身けしんである」として広く信仰を集めています。不思議な事に神象の体にはハートマークが浮出ており、この神象しんぞうを撫なでる事で恋愛成就や夫婦円満、除災招福の御利益があると言われています。

神門には「撫大国」と「撫ウサギ」が祀まつられています。

御祭神ごさいじんの大己貴命は、大袋に打うち出での小槌の「大国さま」としても知られ、その御姿に誰もが心を和ませます。国土の開拓やあらゆる病気の平癒を行い、また恋多き神様としても有名であることから病気平癒をはじめ、子授けや商売繁盛の御利益があるとされており、「撫大国」に願いを込めて撫る事で願い事が叶かなうとされています。

大己貴命に纏まつわる話で広く知られるのが「因幡の素兎」です。兄の八十神等と共に因幡の国を訪れた大己貴命おおなむちのみことは、サメに皮を剥がれて泣き叫ぶウサギが居た。大己貴命がそのウサギに「真水を浴び蒲がまの穂の上に寝転ぶと良い」と言われたので、ウサギは教えの通り行うと、みるみる元気になりました。この事からウサギは病気平癒の御利益や、その行いから素直な心を表す象徴とされています。

また、参道の手水舎近くを流れる小川にかかる橋に「あぶら石」が置かれています。古くは都農川が増水した際、都農川対岸に設置してあった「あぶら石」に油を注ぎ火を灯して都農神社遥拝所としていました。現在は、橋が渡された事により「あぶら石」は奉納ほうのうされ、現在に至っています。長年、人々を導き目標とされてきた事により、目標達成や心願成就の霊石として信仰されるようになり、この岩に願いを込めて触れる事で願い事を叶かなえてくれるとされています。

都農神社の御朱印
都農神社の鳥居
都農神社の鳥居
都農神社の建物その他
都農神社の建物その他
都農神社の建物その他
都農神社(宮崎県)

参拝の前に行うおススメ神事が古くから都農神社に伝わる信仰のひとつ「石持ち神事」です。参道にかかる橋のたもとに神事に使う「神の石」が置かれています。御賽銭をあげて石を1つ受け取り、その石をもって本殿前にそなえてお祈りします。

都農神社の建物その他
都農神社(宮崎県)
都農神社の絵馬
都農神社の建物その他
都農神社の建物その他
都農神社の手水
都農神社の手水
都農神社の手水
都農神社の手水
都農神社(宮崎県)
都農神社の山門
都農神社(宮崎県)

神門内側にある縁起物の中で目立つのが「大杓文字(おおしゃもじ)」です。大杓文字で体の悪いところや全身を撫で、願い事を念じながら大杓文字を振って鈴を鳴らせば願いが叶うとされています。ちょっと大きな杓文字ですが頑張って手に取りお祓いをしましょう。

都農神社の本殿
都農神社の建物その他
都農神社の建物その他
都農神社の本殿
都農神社の本殿
都農神社(宮崎県)
都農神社の建物その他
都農神社の建物その他

参拝の後、本殿の裏側にある「神の石納所」にお供えをすればご利益を授かることができるとされています。

都農神社の建物その他
都農神社の本殿
都農神社(宮崎県)
都農神社(宮崎県)
都農神社(宮崎県)
都農神社の建物その他
都農神社の末社

もう一つ撫でるとご利益のあるのが「御神象」です。都農神社の御神木である夫婦楠の木の俣から生まれました。日本書紀には大黒様が兄神たちに攻められ危うく命を落としそうになった時に母神である櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)が大黒様を「木の俣」から逃がしたと記されています。この事から、この神象は「大黒様の化身である」として広く信仰を集めています。神象の体にはハートマークが浮かび上がっていることから撫でると恋愛成就や夫婦円満の御利益があるといわれています。

都農神社の建物その他
都農神社の建物その他
都農神社の建物その他

神門に置かれているのが「撫で大国」と「撫でウサギ」です。
「撫で大国」は大黒様が国造りや病気の治療、子宝を授けた神様であることから商売繁盛や病気平癒をはじめ子授けに御利益があるとされています。
白兎をかたどった「撫でウサギ」は大黒様が助けた「因幡の白兎」の物語が基になっています。ウサギがサメに皮をはぎ取られて苦しんでいる時に大黒様の助言で治癒したことから、このウサギを撫でると無病息災のご利益があるといわれています。

都農神社の山門
都農神社の建物その他
都農神社の山門
都農神社の建物その他
都農神社の建物その他
都農神社の鳥居
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惣一郎
惣一郎
2023年02月20日(月)
1269投稿

【日向國 式内社巡り】

都農神社(つの~)は、宮崎県児湯郡都農町大字川北にある神社。式内社で、日向國一之宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は大己貴命。明治以前は「宮崎社/宮崎宮」とも呼ばれた。

社伝によると、神武天皇即位の6年前(紀元前666年)に、天皇の東征に際し鎮祭したことに始まる。また神功皇后が三韓征伐に際し舟の守護神として「吐乃(つの)大明神」を勧請し、皇后が凱旋後に社殿を造営したと伝わる。『続日本後紀』には平安時代の837年に官社に列し、843年に神階奉授の記載がある。また『日本三代実録』には858年に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 児湯郡 都農神社 小」に比定されている。その後、日向國一之宮として、在地領主や庶民から崇敬された。戦国時代には伊藤義祐により社殿が造替されているが、1578年の大友宗麟と島津義久の争乱の際に兵火に罹り社殿、社宝、古文書を焼失、そののち衰退した。江戸時代に入り1692年に高鍋藩主・秋月種政により再興されて以降、歴代高鍋藩主から篤く崇敬された。明治に入り、近代社格制度のもと国幣小社に列格した。

当社は、JR日豊本線・都農駅の北西1.8kmの平地、都農川の北岸にある。車のアクセスが良く、幹線道路である国道10号線のすぐ東側にある。豊かな緑に囲まれた境内は広々としていて、およそ200m四方の中にある。境内南端から社殿までまっすぐ伸びる樹木に覆われた参道は幅が広く一直線で、大社らしい荘厳さがある。神域入口には神門があり、神域には大きな社殿の他、大きな日本庭園があるのが特徴。参拝時は正月だったので、巨大な授与所が設営されていた。神域の外にも大きな池があるなど、散策しても気持ち良い空間が広がっている。

今回は、日向國の式内社、日向國一之宮、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の昼ごろで、まだ1月初旬ということで、初詣の人を含め多くの参拝者が訪れていた。

都農神社(宮崎県)

境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。

都農神社(宮崎県)

鳥居の扁額。超達筆で、ノーヒントでは読めないかも...(^_^;)

都農神社(宮崎県)

鳥居をくぐって参道を進む。日向國の神社では参道は注連縄で区切られているみたい。

都農神社(宮崎県)

参道右側の<あぶら石>。都農川増水で社殿に参拝できない時、この石に油を注いで火を灯し遙拝所としたとのこと。

都農神社(宮崎県)

参道進んで、参道右側にある<神の石>。箱の中の石を取って、願掛けをしながら持ち運び、本殿裏に奉納する。

都農神社(宮崎県)

参道左手の<社務所>。

都農神社(宮崎県)

いよいよ神域に近づいて、<神門>周り全景。

都農神社(宮崎県)

参道左側の<手水舎>。

都農神社の手水

手水盤は綺麗に飾られている~♪ (o^―^o)

都農神社(宮崎県)

<神門>全景。

都農神社の山門

いよいよ<神門>をくぐる。

都農神社(宮崎県)

参道右側には巨大な<臨時授与所>。左端の一番社殿に近いところで御朱印を拝受できる。

都農神社の本殿

<拝殿>全景。大きく重厚感がある。

都農神社の本殿

拝殿後ろの<本殿>。拝殿に比して小さめ。建立は2007年と新しい。

都農神社(宮崎県)

本殿の右側にある<手摩乳(てなづち)・足摩乳(あしなづち)神社>。

都農神社(宮崎県)

本殿の真後ろにある<神の石納所>。他の神社だと、本殿の後ろまで廻る人は少ないが、当社では多くの人が本殿後ろまで<神の石>を納めに来ていた。

都農神社の末社

本殿の左側にある<素戔嗚神社>。

都農神社(宮崎県)

拝殿の右側に建っている<熊野神社>。

都農神社(宮崎県)

拝殿に向かって左手に広がる<庭園>。境内図上の表記は<西神苑>。

都農神社(宮崎県)

臨時授与所の御朱印コーナーから見た<社殿>全景。

都農神社の建物その他

臨時授与所の前にある<願掛け太鼓>。お作法は一礼、一打、一礼。

都農神社(宮崎県)

参道を挟んで、願掛け太鼓の向かい側にある<御神象>。「大國主の化身」とされている。

都農神社の狛犬

神門裏側の<撫でウサギ>。

都農神社(宮崎県)

神門裏側の<撫で大国>。

都農神社の建物その他

神門をくぐってすぐ、右手の離れたところにある<神楽殿 / 御輿庫>。

都農神社(宮崎県)

内部には<御神輿>と7つの<獅子頭>が。

都農神社の末社

臨時授与所の裏手にある<稲荷神社>。

都農神社(宮崎県)

境内の南東部にある<神池>。

都農神社(宮崎県)

境内の南東部の社叢の中にある<愛宕神社>。

都農神社(宮崎県)

<愛宕神社>の社殿。

都農神社(宮崎県)

参道上にある<大絵馬>。

都農神社(宮崎県)

最後に、幹線道路の国道10号線近くにある、巨大な<大鳥居>。これはよく目立つ。(^▽^)/

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都農神社の基本情報

住所宮崎県児湯郡都農町大字川北13294
行き方

JR日豊本線都農駅から徒歩約25分

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名称都農神社
読み方つのじんじゃ
通称一の宮様
参拝時間

6:00〜17:00(授与所は8:00〜17:00)

御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号0983-25-3256
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://tunojinjya6.webnode.jp/
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