銀鏡神社のお参りの記録一覧
迩迩芸命(ニニギノミコト)は「筑紫の日向の高千穂のくじふる峰」に降臨します。天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命令で孫の迩迩芸命(ニニギノミコト)を地上の国へとつわす。天孫降臨です。 この「高千穂」は宮崎県北部に位置する高千穂なのか、高千穂峰のある霧島山なのか・・どちらかはわりません。 迩迩芸命はその後、大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘、木花佐久夜姫(コノハナサクヤヒメ)という美しい妻をめとることになります。この求婚の際、大山津見神は木花佐久夜姫と共に、姉の石長姫(イワナガヒメ)も一緒に結婚させるつもりでした。子孫たちが、木の花の咲くように栄え(木花佐久夜姫)、岩のように永く続く(石長姫)ことを願っての大山津見神の親心だったようですが、あいにく石長姫はご面相がよくなく、迩迩芸命は一日で石長姫を親元へと帰してしまうのでした。 この際、境遇を嘆いた石長姫が、わが姿を映す鏡を遠くへ放り投げたところ、これが西都市銀鏡(しろみ)付近(米良山中、龍房山)の大木の枝にかかり陽光、月光を浴びて白く輝いていたそうです。 この由縁で、この場所は白見と呼ばれ、後に現在の銀鏡(しろみ)という地名になったと伝えられております。 この鏡を御神体とするのが銀鏡神社です。
銀鏡神社の大祭として12月14日、15日に催される。主神である懐良(かねなが)親王、大山祇神(おおやまつみのかみ)、石長姫(いわながひめ)のほか、各地の摂社から多くの神々が集う厳粛な舞いが特徴で、狩法神事「シシトギリ」など狩猟文化の歴史も伝えている。昭和53年国の重要無形民俗文化財に指定
銀鏡神社(しろみじんじゃ)
旧社格:村社
御祭神:磐長姫大神・大山祇大神・懐良親王
御神体は背後にある龍房(りゅうぶさ)山と御神鏡。
御神鏡はふたつあり、磐長姫大神の銀の鏡・懐良親王の割符の鏡。
磐長姫大神の銀の鏡は、瓊瓊杵尊が大山祇尊の娘である姉・磐長姫尊と
妹・木花佐久夜姫尊二神を納められましたが、
磐長姫尊は容貌醜悪であったので追い返しました。
磐長姫尊は嘆き悲しみ、大山祇尊より譲ってもらった鏡を取り出し、
自分の姿を写してみると、その姿醜悪にしてあたかも龍のごとく見えたため
その鏡を乾の方に放ち捨て、その鏡は神社東方の龍房山の大木にかかりました。
後にこの地の住人・源氏米良兼続という方が山に登り
鏡を取り敬守されてきたといわれています。
そのためこの山は鏡山と呼ばれていたそうです。
龍房山にかかった鏡は光り輝き、村里を照らし夜中も昼のようだったので、
この地を白見村といわれていましたが、その鏡が銀の鏡だったので銀鏡(しろみ)村と言いかえられたそうです。
もうひとつの割符の鏡は後醍醐天皇より割符のため譲られた神鏡が、
米良領主菊池則隆公より二十五代石見守米良重続公の代に至り、
長享三年(1489)3月16日銀鏡神社を創立した際に合祀されました。
ご朱印はあるようですが、この日はご不在だっため頂けませんでした。
鳥居。
境内の案内板。
拝殿。
拝殿奥の神殿の鬼瓦。
左より矢村社、八幡社、若宮社、山宮社。
銀鏡神社の元宮。
銀鏡神楽は国の重要無形民族文化財に指定されています。
神社周辺には石楠花がたくさん植えられえいて
一部はすでに開花していました。
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