ぐぜいじ|真言宗智山派|金剛遊山
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弘誓寺のお参りの記録一覧

京都仁和寺の末寺で不動明王を本尊とする弘誓寺は、弘法大師空海が弘仁年間(810~824)に開山した真言宗のお寺です。
お隣りにある『館腰神社』は空海が、弘仁2年(811)に弘誓寺の創建時に京都伏見稲荷社より分霊したと伝えられています😊
江戸時代には、仙台藩より寺領2貫文などを与えられ、名取市内に多数の末寺がありました。境内には日を切って願を掛けると願いが叶うという日切地蔵尊のほか、4代藩主綱村公の再建とされる観音堂がありましたが、現在の観音堂は昭和61年に焼失したものを再建したものだそうです。

弘誓寺観音堂

日切地蔵尊

本尊は不動明王で江戸後期の作とされる。本来、弘誓寺は観音菩薩を本尊としたが、雷神山の南に位置した庫裡が延焼した折に、現在の地に庫裡を移転。徐々に参詣者が増えると観音堂は手狭となり、庫裡は増築されて本堂としての役目を果たすようになった。現在の本堂は、昭和48年6月に改築されたものである。(弘誓寺様:境内案内より)
京都仁和寺の末寺で(不動明王様)を本尊とする弘誓寺は(弘法大師空海様が弘仁年間(810∼824)に開山した真言宗のお寺だそうです。
(御朱印待ち時間に住職様のご厚意により(本堂(明王殿)を見学させて頂きました🙏

弘誓寺 庫裡にて直書き御朱印頂戴致しました。

弘誓寺 駐車場の様子です

弘誓寺 駐車場より参道を進んでいくとある(どうぶつの社)の様子です

弘誓寺:本堂(明王殿)に行く前の参道の様子です

弘誓寺 駐車場からの参道の様子です

弘誓寺 駐車場からの参道に(色鮮やかな花)が咲いてました

弘誓寺 仁王門正面右側にある(仁王像)の様子です

弘誓寺 仁王門正面左側にある(仁王像)の様子です

弘誓寺 境内にある(仁王門)の様子です

弘誓寺 境内からの本堂(明王殿)の様子です

弘誓寺:本堂(明王殿)にある:摩訶般若波羅蜜多心経の額の様子です。

弘誓寺:本堂(明王殿)境内天井の様子です

弘誓寺:本堂(明王殿)左奥にある(十王小木造)の様子です(閻魔大王様を、始めてする十王様)の内容も書かれてます

弘誓寺:本堂(明王殿)右側からの様子です

弘誓寺:本堂(明王殿)左側からの様子です

弘誓寺:本堂(明王殿)五大明王様と中央ご本尊:不動明王様の様子です

弘誓寺 御朱印です (岩沼市岩誓寺の住職さんは、弘誓寺のお弟子さんのお寺みたいです)

弘誓寺 お弟子さんの直書き御朱印です(住職さんとお弟子さんの書き方が違うそうです)

當山の由来は、今から1200年前の平安時代前期に遡ります。その頃は岬の先端に位置し、平坦地は海の時代。都から800キロ離れたこの地で、弘法大師は数日間座禅瞑想に励んだ。
その間、水平線から昇る朝日がまるで観音菩薩が現れるかのように見えたことから、「この地に所縁のある者は、観音さまを信仰することによって幸せになれるのではなかろうか。」と感じた弘法大師は、一寸ばかりの観音像を彫り納め、その目印として波打ち際に一本の松を植えたのである。それから此の地を植松と呼ぶようになったと伝えられます。
本堂(明王殿)
本尊は不動明王で江戸後期の作とされる。本来、弘誓寺は観音菩薩を本尊としたが、雷神山の南に位置した庫裡が延焼した折に、現在の地に庫裡を移転。徐々に参詣者が増えると観音堂は手狭となり、庫裡は増築されて本堂としての役目を果たすようになった。現在の本堂は、昭和48年6月に改築されたものである

弘誓寺 参道の様子です(駐車場側から)の様子です

弘誓寺 右側からの本堂 の様子です

弘誓寺 本堂の様子です(ご本尊:不動明王様)

弘誓寺 講堂の様子です

弘誓寺 弘誓寺観音堂の様子です

弘誓寺 右側からの観音堂の様子です

弘誓寺 観音堂の様子です

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