御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

十文字神社のお参りの記録(2回目)
宮城県逢隈駅

投稿日:2025年09月28日(日) 00時19分04秒
県亘理郡亘理町逢隈十文字字宮前88 
主祭神
誉田別命様、天之御中主神様、大山祇神様
例祭日
7月第3日曜日
連絡先
0223-34-3338

由緒
 文治5年(西暦1189年)に源義経に仕えて奥州に出向いた、豪族の渡辺源左衛門綱安が「衣川の戦い」に敗れた義経の死後、この地に移り館(城)を築き、この逢隈地区を領地とし、姓を「十文字」と改め、荒地を切開き開拓開墾しました。
 未だ、戦国時代で統制と治安が乱れ、且つ天災(旱や、阿武隈川の洪水氾濫など)のため、飢饉や疫病に苦しむ人の後が絶えなく、天下泰平、武運長久、五穀豊穣、疫病退散、十文字地域の安寧を願い、館内に京より勧請(神様の分霊を迎えて祀ること)していた大山祇神・誉田別命の祀り、鎮護の社として創建したと伝えられております。
 後に、十文字氏は、亘理領主と所領争いをしていた福島県相馬領の相馬充胤(千葉常胤の次男・小高城主)と同盟を結び、2700石を与えられ、正中2年(1325年)正月に相馬氏の氏神の妙見社(現在の相馬中村神社)の分霊(妙見尊=天御中主命)を勧請し、合わせて祀りました。
 時は神仏習合時代でありましたので、社名は当初「八幡社」から時代により「妙見社」「妙見尊宮」「十文字妙見社」と称され、通称「妙見さん」と親しまれた時代がありました。
 慶応4年(1868年)3月に「神仏分離令」が太政官よい布告され、「十文字神社」と改称し。明治5年(1872年)11月には神社の社格として「村社」に列格しました。更に昭和11年(1936年)には「神饌幣帛料供進指定神社」(町村から祭日に神様へ供物と初穂料を献ずる制度)に指定されました。現在の社殿は、安政9年(1859年)に建てられたものであります。
 地域の鎮守様としては勿論、祭りを通し生活・習慣などの拠り所として皆様の絆を更に深めていく場として、活用して頂ければと存じます。
十文字神社(宮城県)
十文字神社  入口からの鳥居の様子です
十文字神社(宮城県)
十文字神社  鳥居上部に掲げてある(十文字神社)の社額の様子です
十文字神社(宮城県)
十文字神社 右側からの拝殿前の様子です
十文字神社(宮城県)
十文字神社 左側からの拝殿前の様子です
十文字神社(宮城県)
十文字神社  拝殿前の様子です
十文字神社(宮城県)
十文字神社  拝殿前正面よりの右奥側からの本殿の様子です
十文字神社(宮城県)
十文字神社 拝殿前正面より左奥側からの様子です

すてき

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
十文字神社の投稿をもっと見る4件
コメント
お問い合わせ