くまのじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方熊野神社のお参りの記録一覧

御朱印は300円。名取熊野三社巡りその2です。本宮社が無人だったのに対し、境内は神社関係者や参拝客で賑わっていました。お抹茶300円は本殿修繕費とのことです。源頼朝公も来ていたとか。御朱印をお願いする際、本宮社の書置きの御朱印にも日付を入れて頂けました。








神宮寺の次に熊野神社(熊野新宮社)を参拝しました。 熊野神社の境内入口には、神宮寺・境外社の文殊堂などがあります。 熊野神社境内は浮島などかあり思わず見入ってしまいました。
本殿(奥の院)は、3つの社殿が連なって建つ珍しい造りになっていました。
御朱印は、社務所の窓枠に袋が下がっていて、その袋に御朱印があり300円を入れる形でした。 社務所の裏手に大きな駐車場がございました。

熊野神社の鳥居と社号標

社号標の扁額

境内入口に建つ神宮寺の文殊堂


手水舎

熊野神社の由緒



拝殿前・左側の狛犬

拝殿前・右側の狛犬
(通常は、左右とも同じ方向を向いてると思っていましたが右側の狛犬は、同じ方向を向いていない)

熊野神社(熊野新宮社)拝殿

拝殿内

拝殿の扁額

熊野神社・本殿(奥の院)の説明書

熊野神社・本殿(奥の院)
【中央・証誠殿 東側・那智飛龍権現社 西側・十二社権現社】

浮島にある神楽殿

神楽殿前の弁財天社



熊野神社(熊野新宮社)の社務所

社務所の窓枠に下がっている御朱印袋
(お金もこの袋の中に入れる 300円)

熊野神社(熊野新宮社)の御朱印

名取熊野三社参り、まずは中心的な役割を担ってきた、熊野新宮社。奥の駐車場に停めて、赤文字の目立つ扁額の架かった鳥居まで戻りました。和歌山の熊野神社よりずっとこじんまりしていますが、そこそこの広さがあります。御手洗池とその中心にあり神楽殿が印象的。拝殿奥には本殿がありますが、玉垣に囲われている為、はっきりと見る事が出来ないのが残念でした。長年紀州の熊野三社に参拝していた名取郡の一巫女が、老いのため熊野への長旅に耐えられなくなり、自宅付近に小社を営んでいましたが、鳥羽天皇の神勅を拝し、奥羽の人々にとって遠隔の地である熊野の三社を模してこの地に三神を分霊・勧請したものです。当社は熊野新宮社の当たりますが、明治になり他の熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し、熊野神社と称するようになりました。青森の恐山と並び東北の一大聖地としての地位を築いていました。立派な社務所に赴き、ご丁寧な御朱印を拝受致しました。

社号標

鳥居

参道

文化八年(1811)奉納の燈籠


新宮寺文殊堂


神橋

社務所


手水舎

手水鉢

由緒書

頼朝公腰掛之石

文治元年(1189)頼朝公が欧州征伐の竿武運を祈り、参拝した際にこの石に腰掛戦略を思案したところ霊験功を奏したので、帰路再び参拝したとされます。
が、当社別当は欧州藤原氏側についたため捕縛されたとの事。不思議???

宝物殿

神楽殿

御手洗池 春季大祭時には池の中に仮設舞台が作られ、県指定無形民俗文化財の熊野堂舞楽が奉納されます


境内社 弁財天社

熊野新宮社本殿説明板

拝殿

拝殿側面

扁額

本殿(証誠殿・那智飛龍権現社)

十二社権現社

老女の宮

宝暦四年(1754)奉納の狛犬


燈籠

社務所へつながる渡り廊下


取壊された鐘楼の梵鐘

燈籠


大神宮(明治廿四年)

奥州名取郡一宮熊野宮御流鏑馬射手社士平姓三浦氏累系図

忠魂碑 陸軍大将松川敏胤書


熊野堂山林碑

古峯神社

山神

名取熊野三社のひとつ。
名取老女が勧請した熊野三神を祀る。
1123年熊野新宮社として創建されたと伝わる。
後に熊野新宮社、熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し熊野神社と改められた。
江戸時代初期に建てられた奥之院(本殿)は新宮社証誠殿(中央)、那智飛龍権現社(右)、本宮十二社権現社(左)の社殿が並び、十二社権現社の隣には創建の由緒となっている名取老女を祀る老女宮が建つ。
神仏習合の名残で境内に文殊堂が建つが明治の神仏分離で新宮寺の所属となった。

拝殿

拝殿

拝殿



碇

梵鐘

老女宮・十二社権現社

証誠殿・飛龍権現社

証誠殿・飛龍権現社

十二社権現社

飛龍権現社

老女宮

神楽殿

神楽殿

神楽殿

弁財天社

源頼朝腰掛石



新宮寺文殊堂

新宮寺文殊堂


🟣🐦⬛熊野三社を巡る②🐦⬛🟢
二社目は⭐️✨熊野神社✨⭐️
熊野信仰の本拠地は、紀伊国(和歌山県)の熊野三社です。熊野神は皆さんもご存知のサッカー日本代表のエンブレムでもあり、守り神となっている『八咫烏(やたがらす)』ですよね☺️ 私もいつか和歌山を尋ねてみたいのですが、実は宮城県名取市には全国で唯一この三社を勧請した神社があり、紀州熊野三社の世界を名取市内で再現してるんです😄
名取熊野三社は、仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に見立て、熊野本宮社・速玉大社・那智大社の三社をそれぞれ別に勧請しています。また、紀伊熊野三山と地理的・方角的に同じく勧請しているのは全国でもここだけなんだそうです。
そんな三社を巡ってきたので、全3投稿①〜③でご紹介しますね。
皆さまも機会があれば、東北の熊野信仰の中心地を巡ってみて下さい☺️

熊野神社の『牛王法印』
三社とも神文(書かれている内容が違います)





心地よく素敵な境内💓









社務所(何か食べ物屋さんみたい😊)

名取熊野三社の2社目
こちらは熊野三社それぞれから勧請されたお社だそうです。
社殿前には弁財天の祠を祀る御池があり、開放的な雰囲気でした。
また、源頼朝が奥州征伐の際にこちらの神社に立ち寄った際に座ったとされる腰掛石があり、実際に座ることもできました。
御朱印は書き置き対応です。

社号標と鳥居

社号標

鳥居

扁額

御池と社殿

社殿近景

斜めから

御由緒

源頼朝公 腰掛け石

腰掛けの石の説明

御神木の大銀杏

弁財天の祠と神楽殿

御朱印
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
































































































































































7
0