くまのじんじゃ
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熊野神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月23日(土)
参拝:2024年11月吉日
名取熊野三社参り、まずは中心的な役割を担ってきた、熊野新宮社。奥の駐車場に停めて、赤文字の目立つ扁額の架かった鳥居まで戻りました。和歌山の熊野神社よりずっとこじんまりしていますが、そこそこの広さがあります。御手洗池とその中心にあり神楽殿が印象的。拝殿奥には本殿がありますが、玉垣に囲われている為、はっきりと見る事が出来ないのが残念でした。長年紀州の熊野三社に参拝していた名取郡の一巫女が、老いのため熊野への長旅に耐えられなくなり、自宅付近に小社を営んでいましたが、鳥羽天皇の神勅を拝し、奥羽の人々にとって遠隔の地である熊野の三社を模してこの地に三神を分霊・勧請したものです。当社は熊野新宮社の当たりますが、明治になり他の熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し、熊野神社と称するようになりました。青森の恐山と並び東北の一大聖地としての地位を築いていました。立派な社務所に赴き、ご丁寧な御朱印を拝受致しました。
社号標
鳥居
参道
文化八年(1811)奉納の燈籠
新宮寺文殊堂
神橋
社務所
手水舎
手水鉢
由緒書
頼朝公腰掛之石
文治元年(1189)頼朝公が欧州征伐の竿武運を祈り、参拝した際にこの石に腰掛戦略を思案したところ霊験功を奏したので、帰路再び参拝したとされます。
が、当社別当は欧州藤原氏側についたため捕縛されたとの事。不思議???
が、当社別当は欧州藤原氏側についたため捕縛されたとの事。不思議???
宝物殿
神楽殿
御手洗池 春季大祭時には池の中に仮設舞台が作られ、県指定無形民俗文化財の熊野堂舞楽が奉納されます
境内社 弁財天社
熊野新宮社本殿説明板
拝殿
拝殿側面
扁額
本殿(証誠殿・那智飛龍権現社)
十二社権現社
老女の宮
宝暦四年(1754)奉納の狛犬
燈籠
社務所へつながる渡り廊下
取壊された鐘楼の梵鐘
燈籠
大神宮(明治廿四年)
奥州名取郡一宮熊野宮御流鏑馬射手社士平姓三浦氏累系図
忠魂碑 陸軍大将松川敏胤書
熊野堂山林碑
古峯神社
山神
すてき
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