曹洞宗
昌伝庵のお参りの記録一覧
宮城県仙台市若林 荒町に境内を構える、奕葉山 昌傳庵、2023.9.仙台三十三観音霊場にて参拝しました、どの様な寺院、御堂か引用を用いて調べて見ました。山号は奕葉山、寺号、院号は昌傳庵、宗旨 宗派は曹洞宗、ご本尊は釈迦牟尼仏、仙台三十三観音霊場、第三十三番札所別当寺院、結願寺、鹿落観音堂、宮城百八地蔵霊場 第四番札所(子育水子延命地蔵)出羽国・舘山城を本拠としていた伊達尚宗が、亡くなった3男の久松丸の供養を目的として、現在の山形県立米沢東高等学校の辺りにあった新町(あらまち)に永正3年(1506年)に開基し、總持寺前住で越前大芸寺5世だった喜山高悦を招いて開山した、伊達政宗の転封に伴って、陸奥国の岩出山城の城下町へ、さらに仙台城の城下町へと移転し、現在地に伽藍が創設された。「米沢六町」の1つである新町も、伊達氏の移封に従って岩出山に移って新町と称し、仙台に移ると荒町と称した。寛永5年(1628年)頃、若林城造営により仙台城の城下町も拡張され、それに伴って荒町も現在地へと再度移転したため、昌傳庵は米沢でかつて所在した町の流れをくむ町に再び存立することになった。宝永四年(1707)、明和元年(1764)の大火で類焼してしまいますが、明和二年に庫裏などを再建、同八年には本堂の修繕が行われ、現在に至ります。境内には、国宝に指定されるも空襲により焼失した仙台城大手門のほか、本丸東辺の崖に突き出た数奇屋風書院造りの建物である懸造が、模型により精巧に再現されています。
江戸時代は松音寺、泰心院、輪王寺とともに仙台藩曹洞宗4ヶ僧録司の一つとされる。また、仙台藩での寺格は着座格。
明治22年(1889年)に鹿落観音堂(仙台三十三観音霊場、第三十三番札所)を管理していた仏経山大蔵寺が昌傳庵に統合されたために、鹿落観音堂の管理寺院となる。
室町時代初期に陸奥国の会津地方に創建された正傳庵が、米沢に移されて伊達氏により昌傳庵として再興されたとの説もあるが、詳細は不明
以上で仙台三十三観音霊場は結願しました、比較的新しい霊場だからか、残念ながら霊場としては困難でした、他県の三十三霊場巡りでは不在の際は繋がる携帯番号や檀家さん、朱印所の場所の記載が在ったり、ポスト、箱に書き置きが置いてたり、自分で法印を押す等で対応してくれますが、仙台三十三観音は一切在りません、道も迷い安く、他霊場では道の要所には手作りの看板、旗等が有りますがそれも在りません、ビルの谷間に在る観音堂も多く、行くのも駐車場見つけるのも大変です、土、日、祝日の朱印対応も寺院以外は対応して貰えません、充分な下調べが必要でした、皆さんの投稿を頼りに何とか結願出来ました。
宮城r235沿いに入り口、奥に山門。
電車だと愛宕橋駅より北へ徒歩すぐ。境内に駐車場あり。
入り口をぬけ(横駐車場)山門。途中に荒町公園がある。
そのまま進めばもう一つ山門があり入ると木々が多い境内。
抜けると本堂があるが、とにかく木が多く、入り口からに対して全体的に社殿なんかがキュッとコンパクトになっている印象。
伊達家13代・伊達尚宗がわずか6歳で夭折した三男・久松丸の菩提を弔うために陸奥国に建立した昌伝庵を、伊達家が仙台に行ったことで仙台にも創建されたお寺なんだそうです。
お盆時期だったので警備員さんが建っていたり、そこそこお墓まいりの人で賑わっていました。
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