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楽しみ方三宝大荒神社のお参りの記録一覧(5ページ目)

一体 何の神様なのか?鎮守なのか?なんなのか? 規模から言えば多分鎮守なんでしょう。
耳の神様でもあるようです。
周りにはいろいろな塚もありまして。。。塚の写真は撮って来ませんでしたが、筆塚ですとかございますので付喪神の神様なのかも知れません。
すみません 詳しくなくて。。。
場所的には連坊駅を一高の校庭沿いに歩いてだいたい10分くらいでしょうか?
三叉路の中の三角地帯にある神社様です。
三宝荒神といえば真言の神様ですので本来は仏のはずですが、ここでは神様として祀られてます。神仏融合の神様なのでしょうかねぇ・・・
鳥居の看板です。ちょっと見えづらいですね。ごめんなさい。
鳥居の間から見たお堂です。
中に人がいらっしゃるんでしょうか?灯りが付いてました。
耳の疾病治癒の看板です。難聴などの神様らしいです。

南鍛冶町の町名は、藩政時代に鍛冶職人衆を住まわせていたことにちなんで名付けられました。この地には「火伏せの神」として三宝大荒神が建立 三宝荒神のご神体は、中央奥の厨子の中に安置され、ご前仏は百年前程町内鍛冶屋職(遠藤喜三郎)が(両足山大寺)より譲り受けて奉納した(摩利支天像様、偉駄天像様)の二体である 脇仏は左側(金神様)右側に(不動明王様)である 三宝荒神経の一節に(大日如来様、文殊菩薩様、不動明王様)の化身で心荒たつ時は、三宝荒神心静かな時は、本有の如来と記してあり火を防ぎ(火難)竃(台所)を守る仏である

三宝大荒神社 公孫樹(イチョウ)この時は、まだでした(イチョウが咲いた時はとても綺麗だそうです

三宝大荒神社 公孫樹(イチョウ)の事が書いてあります

三宝大荒神社 右側天保十三年、左側弘化三年(推定)の様子です

三宝大荒神 右側山神(弘化三年)、中央在原塚(文化十年)、左側筆塚(弘化三年)

三宝大荒神社 耳権現様の小祠です

三宝大荒神社 耳権現様の縁起に、ついて書かれてます

三宝大荒神社 鳥居の様子です

三宝大荒神社 鳥居上部に掲げてある(奉納 三寳大荒神)の社額です

三宝大荒神 境内(手水舎)大正四年 1915年の様子です

三宝大荒神社 神輿堂(昭和十年 1935年)の様子です

三宝大荒神社 神社境内石碑等、年代が書かれてます

三宝大荒神社 沿革碑(明治四十一年 1908年)のよ

三宝大荒神社 境内の様子です

三宝大荒神社 お堂右側の様子です

三宝大荒神社 お堂正面右側にある、舞殿の様子です

三宝大荒神社 お堂右側に、阿形の狛犬さんの様子です

三宝大荒神社 お堂左側に、吽形の狛犬さんの様子です

三宝大荒神社 お堂の様子です ご神体(摩利支天像様、偉駄天像様) 脇仏左側に(金神様)、 右側に(不動明王様)
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