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楽しみ方熊野神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年03月20日(木) 15時57分17秒
鎮座地
宮城県柴田郡川崎町大字支倉字宮脇上10番地
主祭神
熊野加武呂岐櫛御様
例祭日
4月15日。現在は4月の第3日曜日に祭典と神輿渡御を斎行
連絡先
0224-86-2157
由緒
五十代桓武天皇の延暦(797、平安)16年征夷大将軍坂上田村麿東夷征伐の命を受け、東下の際、当地に来り地の高燥であることを賞し、ここに天の三大星を象り欅三本を手植し三神を祭り、又、菅生に到って天の七曜星を象り榧七本を植え、地方平定の祈願をした。後、里人此の欅ごとに祠を建て熊野三社大権現を祀る。時に大同2年(807、平安)であった。これが当社の創めであると伝えられる。八十二代後鳥羽帝の文治年間(1187、文治三か)源義経主従東国に下る途中、当村碁石山中蜂田に匿れ奥州秀衡の動静を窺った。去るに臨んで其従者武蔵坊弁慶の守本尊を郷人に与えた。郷人はこの地に祠を建てて祀った熊野加夫呂命であるという。ここは深山で当時蜂田清吉なる者宮守として居住したが廃絶した為宝永某年(1704-1710、江戸)11月14日本社に合わせ祀った。古く熊野三社大権現(鐘銘に曰く柴田郡支倉邑、熊野大権現者不詳何人之艸創、従示和光之化儀此所以降、既数百載、三社権現、国家万民祈豊穣)とよび支倉邑(今の富岡、川崎両村の一部)の鎮守であって、又、近郷の崇敬極めて厚く建久3年(1192、鎌倉)伊藤常久奥州征伐の功により頼朝より支倉邑二百余町歩を賜わり子孫久成この邑に住むに及び、社地を献じ四時の祭祀を怠らなかった。支倉氏仙台に移るや、地頭福原帯刀金子五両を献じ基金として毎年11月14日醸酒奉献の例を聞き祭典当日は名代を社参せしめた。又、伊達家臣武藤今朝五郎は当社を崇敬し伊達斎邦幕命により樺太に渡り国堺踏査検分に随行した際当社に海陸安全をなし帰国後奉幣社参した。明治の初熊野神社と改称。同8年3月村主に列せられ、大正11年2月供進社に指定。例祭は紀州熊野坐神社(熊野本宮)の祭典にならい、4月15日に挙行神輿渡御の儀がある。特殊神事の由緒祭は元11月14日に行われたが、後12月14日に改めた。祭典は、夜間に行われ、新穀を青木葉に乗せ新しい藁を敷き夜半12時特殊な祝詞を奏し聖寿無窮万歳五穀豊饒天下泰平を祈念する。支倉氏はこの夜新穀を以て神前にて酒を醸して参詣者にすすめ、氏子よりは新穀を以て赤飯を焚きその夜、又は翌日神前に献供する例であった。社殿は寛政年間の改築であったが、明治39年2月火災にかかり焼失した。現社殿は大正3、4年の交に竣工したものである。境内社の稲荷神社は正応元年、姥神社は建徳年間、八幡社は寛政年間の勧請にかかり、三峯神社は元仁元年音無から移祀した
宮城県柴田郡川崎町大字支倉字宮脇上10番地
主祭神
熊野加武呂岐櫛御様
例祭日
4月15日。現在は4月の第3日曜日に祭典と神輿渡御を斎行
連絡先
0224-86-2157
由緒
五十代桓武天皇の延暦(797、平安)16年征夷大将軍坂上田村麿東夷征伐の命を受け、東下の際、当地に来り地の高燥であることを賞し、ここに天の三大星を象り欅三本を手植し三神を祭り、又、菅生に到って天の七曜星を象り榧七本を植え、地方平定の祈願をした。後、里人此の欅ごとに祠を建て熊野三社大権現を祀る。時に大同2年(807、平安)であった。これが当社の創めであると伝えられる。八十二代後鳥羽帝の文治年間(1187、文治三か)源義経主従東国に下る途中、当村碁石山中蜂田に匿れ奥州秀衡の動静を窺った。去るに臨んで其従者武蔵坊弁慶の守本尊を郷人に与えた。郷人はこの地に祠を建てて祀った熊野加夫呂命であるという。ここは深山で当時蜂田清吉なる者宮守として居住したが廃絶した為宝永某年(1704-1710、江戸)11月14日本社に合わせ祀った。古く熊野三社大権現(鐘銘に曰く柴田郡支倉邑、熊野大権現者不詳何人之艸創、従示和光之化儀此所以降、既数百載、三社権現、国家万民祈豊穣)とよび支倉邑(今の富岡、川崎両村の一部)の鎮守であって、又、近郷の崇敬極めて厚く建久3年(1192、鎌倉)伊藤常久奥州征伐の功により頼朝より支倉邑二百余町歩を賜わり子孫久成この邑に住むに及び、社地を献じ四時の祭祀を怠らなかった。支倉氏仙台に移るや、地頭福原帯刀金子五両を献じ基金として毎年11月14日醸酒奉献の例を聞き祭典当日は名代を社参せしめた。又、伊達家臣武藤今朝五郎は当社を崇敬し伊達斎邦幕命により樺太に渡り国堺踏査検分に随行した際当社に海陸安全をなし帰国後奉幣社参した。明治の初熊野神社と改称。同8年3月村主に列せられ、大正11年2月供進社に指定。例祭は紀州熊野坐神社(熊野本宮)の祭典にならい、4月15日に挙行神輿渡御の儀がある。特殊神事の由緒祭は元11月14日に行われたが、後12月14日に改めた。祭典は、夜間に行われ、新穀を青木葉に乗せ新しい藁を敷き夜半12時特殊な祝詞を奏し聖寿無窮万歳五穀豊饒天下泰平を祈念する。支倉氏はこの夜新穀を以て神前にて酒を醸して参詣者にすすめ、氏子よりは新穀を以て赤飯を焚きその夜、又は翌日神前に献供する例であった。社殿は寛政年間の改築であったが、明治39年2月火災にかかり焼失した。現社殿は大正3、4年の交に竣工したものである。境内社の稲荷神社は正応元年、姥神社は建徳年間、八幡社は寛政年間の勧請にかかり、三峯神社は元仁元年音無から移祀した

熊野神社 社務所にて(書き置き)御朱印頂戴致しました

熊野神社 参道正面左側にある(石碑)の群れです

熊野神社 入口から見た(鳥居)のです

熊野神社 鳥居上部に掲げてある(熊野神社社額です

熊野神社 鳥居正面右側に(左側御神木、右側山神(祀神 大山津見神様 ご利益(水源水利保護、長寿、良縁、安産)

熊野神社 参道左側(御神木)です

熊野神社 境内の様子です

熊野神社 境内にある(手水舎)です

熊野神社 境内にある(絵馬掛け台です

熊野神社 祀神 瀬織津姫命様 ご利益(子宝、安産、祈雨、止雨、治水)

熊野神社 境内にある石碑の様子です

熊野神社 参道の様子です

熊野神社 拝殿前(阿形の狛犬さんの様子です

熊野神社 拝殿前(吽形の狛犬さんの様子です

熊野神社 拝殿前正面右側から見た、様子です

熊野神社 拝殿前正面左側から見た、様子です

熊野神社 拝殿前の様子です

熊野神社 拝殿前上部に掲げてある(熊野加武呂岐櫛御様の額の様子です

熊野神社 拝殿前上部にある(木鼻)の様子です

熊野神社 拝殿前正面右側から見た、様子です

熊野神社 拝殿前正面左側から見た、様子です

熊野神社 境内奥側から見た本殿の様子です 御祭神 熊野加武呂岐櫛御気野命です

熊野神社 境内奥側から見た、本殿の様子です

熊野神社 境内左側に(梵鐘堂)の様子です

熊野神社 境内左側にある(右側八幡神社 御祭神 誉田別尊様(ご利益 戦勝祈願、厄除け、所願成就) 左側稲荷神社 保食神(大宜都比売 宇迦之御魂様(ご利益 五殻豊穣、開運、子宝、安産)

熊野神社 境内にある(石祠の群れです

熊野神社 境内にある(石碑の様子です

熊野神社 境内にある(三峯神社 御祭神 配祀 伊弉諾命様 伊弉冉命様(ご利益 夫婦和合、家内安全、所難よけ)

熊野神社 境内にある(石碑の様子です

熊野神社 拝殿前左側にある(姥神社 御祭神 木花咲耶姫様(ご利益 火難除け、安産、子授け)

熊野神社 拝殿前の様子です

熊野神社 境内左奥側にある(祖霊社 祀神 国霊様、英霊様 祖霊様(ご利益 国家安定、家内安全、子孫繁栄)

熊野神社 拝殿前上部に掲げてある(英霊、国霊、祖霊)の扁額の様子です

熊野神社 祖霊社本殿の様子です

熊野神社 熊野神社境内図になります
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