うるふしねじんじゃ
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宇流冨志祢神社ではいただけません
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宇流冨志祢神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年02月02日(水)
参拝:2022年1月吉日
【伊賀国 式内社巡り】
宇流富志禰神社(うるふしね~)は、三重県名張市平尾にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は宇奈根命(うなね)、相殿神は武甕槌命、經津主命、姫大神、大物主命、火之迦具士命、宇迦之魂命、建速須佐之男命、天兒屋根命、応仁天皇、仁徳天皇。
戦国時代1580年の天正伊賀の乱で社殿や宝物、古文書を焼失しているため、創建は不詳。国史である『日本三代実録』によると、平安時代の873年に「宇奈根神」の神階奉授の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「伊賀國 名張郡 宇流富志禰神社」に比定されている。戦国時代に伊賀領主・筒井貞次の重臣・松倉勝重が着任すると神領を寄進し、江戸時代には藤堂高吉がさらに神領を寄進した。明治時代になると、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、近鉄大阪線・名張駅の南西500mの、名張川の北岸の小高い場所にある。境内の西側80mほどの場所に一の鳥居と社号標があり、そこから参道の坂道を登るが、公道にもなっている。二の鳥居以降の境内地はそこそこの広さがあり、社殿や社務所も大きい。
今回は、伊賀国の式内社、旧県社と言うことで参拝することに。参拝時は週末の午後で、昇殿祈祷者含め、ぱらぱらと参拝者が訪れていた。
境内の100mほど西方の公道上にある<二の鳥居>。
鳥居から坂道を徐々に登って行く。道の両側は神社の土地なのか、奉納燈籠がきれいに並んでいる。
坂道の右側にある<柳原地蔵尊>。神仏習合の名残りでも、今でもお供え物が多い。
境内近くまで来て、坂道の右側にある<忠魂碑>。
境内手前、坂道の右側にある大きな<奉納燈籠>。
奉納燈籠の前から境内全景。境内地の南側(写真右側)に参道や社殿があるのが分かる。
境内西端入口の階段と<社号標>。
階段を上がって左側にある<手水舎>。
階段を上がって正面にある<三の鳥居>。
鳥居をくぐってすぐ右側にある<授与所>。御朱印はこちら。
参道進んで右側にある<鹿の像>。神の使いかな? 当社HPにも鹿の像の写真は載っているが説明はない。
参道右側の建物群。おそらく社務所等。特設テントでは秋季例大祭の写真を展示。
参道左手の建物。ずいぶん大きいけど参集殿かな。
<拝殿>全景。
拝殿前左手の<狛犬>。
拝殿前右手の<狛犬>。
<拝殿>正面。上部には「宇流富志禰神社」の扁額。この時はたまたま昇殿祈祷中。
拝殿前にある<奉納樽>。地元・名張の地酒「瀧自慢」(瀧自慢酒造)と「天下錦」(福持酒造場)。
拝殿後ろの<本殿>。
拝殿の左隣にある<輿玉松尾神社>の拝殿。
<輿玉松尾神社>の拝殿内部。奥に本殿が見える。
本社拝殿と輿玉松尾神社拝殿の間にある<皇大神宮遙拝所>の石柱。
輿玉松尾神社拝殿の左側にある<宮城遙拝所>と<明治天皇遙拝所>の石柱。これは珍しいかも。
手水舎近くまで戻って、境内北側に境内社などが集まったエリアがあるので見て廻る。
手水舎の裏にある境内社<三輪明神 大神神社>と<神武天皇遙拝所>の石柱。
西側には境内社6社が集められている。左から順に、白玉明神、愛宕神社、稲荷神社、護国神社、八坂神社、市杵島姫神社。
境内社6社の隣にある<多賀大社遥拝所>の石碑。当社は遙拝所が充実している。
こちらは<山ノ神 山王権現>。
左は<八幡神社>、右は<山神の祠>。
最後に<社殿>全景。地元風の人々がちょこちょこ出入りしていて、しっかり地元に密着している感じ。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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