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あえくにじんじゃ

敢國神社の御由緒・歴史
三重県 佐那具駅

ご祭神《主》大彦命,《配》少彦名命,金山媛命
ご神体南宮山
創建時代斉明天皇4年(658)
ご由緒

古来伊賀国の一宮として、当国の人々の総鎮守大氏神として、仰ぎまつってその霊徳に属してまいりました。
創建年代は658年ですが、貞観の頃には神階五位を授けられ延喜の制には大社に列せられました。また延長年間には朝廷より社殿が修造せしめられ、南北朝時代には後村上天皇が行幸ましまして、数日間参籠あらせられ、社領の御加増もありました。徳川時代には藩主藤堂家の崇敬厚く、社殿調度の修営・神器社領の寄進・祭儀神事の復興などが行われていました。明治4年5月国幣中社に列せられ今日に至っております。

歴史
歴史[編集] 創建[編集] 社伝[1]では、斉明天皇4年(658年)の創建になるとする。これによると祭神の大彦命は四道将軍として北陸地方を平定し、その子孫は伊賀国阿拝郡一帯に居住して阿閇氏(敢氏/阿閉氏)を称し、大彦命を祖神として祀ったという。また、それとは別に少彦名命を祀る秦氏一族があり、これら2柱をもって創建されたとする。創建当初は、敢國神社南方の南宮山山頂付近に祀られたが、後に現在地(南宮山山麓)に遷されたという。その後、山頂附近の社殿跡には南宮大社より勧請された金山比咩命が祀られた為、その山が「南宮山」と呼ばれたともいう。そして貞元2年(977年)、金山比咩命の社殿前の神木に言...Wikipediaで続きを読む
引用元情報敢國神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%95%A2%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100818914

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