あえくにじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
敢國神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2022年12月05日(月)
参拝:2022年12月吉日
伊賀國一宮の敢国神社に参拝に行って来ました。
今日は神幸式が行われていました。地元の人達が集まって執り行われていましたので、なかなか県外から来た私達は入りずらくて鳥居の外から見てました。明日12/5は例祭のおんまつりがあるそうです。
御祭神は大彦命で、第八代孝元天皇の皇子で崇神天皇の御代四道将軍のお一人として北陸未開の地を教化した後、伊賀の地に永住せられ、国家繁栄の礎を築かれました。
命のご遠征によるご活躍にあやかり、交通安全、健康長寿の神として御霊徳を仰がれております。
少彦名命は医薬、酒造の祝神で、世に恵比寿様と称し商売繁盛、大漁豊穣の守護神としてその御沢尽き来るところがありません。
金山比咩命は御名の如く採鉱地金機械工業など、近代産業の霊験を垂れ給う守護神であります。
敢国神社と伊賀服部氏
第十五代応神天皇の五世紀初頭の頃の百済王の孫の酒君が大陸から機織職人を連れて渡来しました。その酒君の末裔が服部一族と考えられています。
伊乱記には伊賀服部氏に源氏服部、平氏服部、敢国服部の三流があったとしており、このうち敢国服部が敢国神社の神事を勤めてきたとあります。
彼らは建御名方の流れを汲む諏訪源氏の一流で敢国服部氏によって行われてきた黒党祭は諏訪に起源をもつ甲賀三郎兼家を祭る神事として受け継がれてきました。
第二次天正伊賀の乱で織田信長に大敗しましたが、伊賀忍者の心のよりどころとなるのは、やはり敢国神社でした。
また、参拝に行きたいとおもいます。
今日は神幸式が行われていました。地元の人達が集まって執り行われていましたので、なかなか県外から来た私達は入りずらくて鳥居の外から見てました。明日12/5は例祭のおんまつりがあるそうです。
御祭神は大彦命で、第八代孝元天皇の皇子で崇神天皇の御代四道将軍のお一人として北陸未開の地を教化した後、伊賀の地に永住せられ、国家繁栄の礎を築かれました。
命のご遠征によるご活躍にあやかり、交通安全、健康長寿の神として御霊徳を仰がれております。
少彦名命は医薬、酒造の祝神で、世に恵比寿様と称し商売繁盛、大漁豊穣の守護神としてその御沢尽き来るところがありません。
金山比咩命は御名の如く採鉱地金機械工業など、近代産業の霊験を垂れ給う守護神であります。
敢国神社と伊賀服部氏
第十五代応神天皇の五世紀初頭の頃の百済王の孫の酒君が大陸から機織職人を連れて渡来しました。その酒君の末裔が服部一族と考えられています。
伊乱記には伊賀服部氏に源氏服部、平氏服部、敢国服部の三流があったとしており、このうち敢国服部が敢国神社の神事を勤めてきたとあります。
彼らは建御名方の流れを汲む諏訪源氏の一流で敢国服部氏によって行われてきた黒党祭は諏訪に起源をもつ甲賀三郎兼家を祭る神事として受け継がれてきました。
第二次天正伊賀の乱で織田信長に大敗しましたが、伊賀忍者の心のよりどころとなるのは、やはり敢国神社でした。
また、参拝に行きたいとおもいます。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。