ひおきじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
日置神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《合》健速須佐之男命,大山祇命,応神天皇,木花佐久夜比売命,奥津比古神,市杵島比売命,奥津比売命,大物主神,火産霊神,《主》大日貴命,《配》健御名方命 | |
---|---|---|
ご由緒 | 下柘植日置神社については「三国地誌」に「按慶長年中愛田ヨリ勧請ス」とあり言い伝えには平宗清の長男日置太郎家清が父の後を継いで下柘植村に住んでいた時この神社を創建し子孫がずっと奉祀してきたが天正9年(1581)織田氏の兵火にかかり全焼した。しかしその後住民が協力して再建したという。元愛田日置神社については「伊水温故」に「信濃国諏訪郡健御名方命勧請」とあり「三国地誌」には「按神明、天王、諏訪の三座を祀る。弥平兵衛宗清造建す。」とある。言い伝えによると平宗清は後年愛田に住んでいた。時の将軍頼朝は宗清に旧恩があったので所領を授けようとしたが、宗清は請けなかった。それで藤九郎盛永をつかわし33村を日置神社に寄付し造営を助けた。当時山中村を改め愛田村と呼んだという。明治40年にはちまんじんじゃなど12社を合祀し明治41年には愛田宮前1776に鎮座していた日置神社を合祀している。この年にはほかに下柘植や愛田に鎮座の神社を合祀しこの時期に合祀された神社は27社に及ぶ。 |
三重県のおすすめ🎎
広告
歴史の写真一覧
三重県のおすすめ🎎
広告
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ