御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
日置神社ではいただけません
広告

歴史

下柘植日置神社については「三国地誌」に「按慶長年中愛田ヨリ勧請ス」とあり言い伝えには平宗清の長男日置太郎家清が父の後を継いで下柘植村に住んでいた時この神社を創建し子孫がずっと奉祀してきたが天正9年(1581)織田氏の兵火にかかり全焼した。しかしその後住民が協力して再建したという。元愛田日置神社については「伊水温故」に「信濃国諏訪郡健御名方命勧請」とあり「三国地誌」には「按神明、天王、諏訪の三座を祀る。弥平兵衛宗清造建す。」とある。言い伝えによると平宗清は後年愛田に住んでいた。時の将軍頼朝は宗清に旧恩があったので所領を授けようとしたが、宗清は請けなかった。それで藤九郎盛永をつかわし33村を日置神社に寄付し造営を助けた。当時山中村を改め愛田村と呼んだという。明治40年にはちまんじんじゃなど12社を合祀し明治41年には愛田宮前1776に鎮座していた日置神社を合祀している。この年にはほかに下柘植や愛田に鎮座の神社を合祀しこの時期に合祀された神社は27社に及ぶ。

歴史をもっと見る|
1

日置神社の基本情報

住所三重県伊賀市下柘植2260
行き方
アクセスを詳しく見る
名称日置神社
読み方ひおきじんじゃ

詳細情報

ご祭神《合》健速須佐之男命,大山祇命,応神天皇,木花佐久夜比売命,奥津比古神,市杵島比売命,奥津比売命,大物主神,火産霊神,《主》大日貴命,《配》健御名方命
ご由緒

下柘植日置神社については「三国地誌」に「按慶長年中愛田ヨリ勧請ス」とあり言い伝えには平宗清の長男日置太郎家清が父の後を継いで下柘植村に住んでいた時この神社を創建し子孫がずっと奉祀してきたが天正9年(1581)織田氏の兵火にかかり全焼した。しかしその後住民が協力して再建したという。元愛田日置神社については「伊水温故」に「信濃国諏訪郡健御名方命勧請」とあり「三国地誌」には「按神明、天王、諏訪の三座を祀る。弥平兵衛宗清造建す。」とある。言い伝えによると平宗清は後年愛田に住んでいた。時の将軍頼朝は宗清に旧恩があったので所領を授けようとしたが、宗清は請けなかった。それで藤九郎盛永をつかわし33村を日置神社に寄付し造営を助けた。当時山中村を改め愛田村と呼んだという。明治40年にはちまんじんじゃなど12社を合祀し明治41年には愛田宮前1776に鎮座していた日置神社を合祀している。この年にはほかに下柘植や愛田に鎮座の神社を合祀しこの時期に合祀された神社は27社に及ぶ。

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ